2001.9.18.(火)〜12.15.(土)
出展作品
*印の作品は丸木スマ画集「花と人と生きものたち」に収録されています。

33.梅が咲く  1952年
1.自画像  初期
2.二本の竹の子  初期
3.動物園からにげてきた   初期
4.草むらの親猫、子猫 中期
5.花かげ  1953年
6.三滝の山の生き物たち   中期
7.塔  1950年
8.すすきと太陽  中期
9.個展手書きポスター  1953年
10.ゆりの花  中期
11.花影の少女たち  中期
12.花と猫  1954年
13.行く魚B  中晩期
14.川のかに 1951年
15.小鳥と仙人と花  中晩期
16.俊の像  中期
17.ばくろう  1955年
18.ひょうたんから駒  晩期
19.太田川の渓流  晩期
20.町はずれ  1953年
21.猫の家   晩期
22.大きなかぶ  晩期
23.黒いバックの梅の花   晩期
24.鳥の林  1952年
25.せどの山  1952年
26.ダリア  1952年
27.赤いけし白いコスモス
28.なす・うり・みかん・トマト  
29.庭先  1952年
30.こっちを見ているサル
31.ろん  1955年
32.花見  1949年
33.梅が咲く  1952年
34.もくれん・白
35.もくれん・赤
36.楽しい日
37.つつじ・白  1952年
38.つつじ・赤  1952年
39.母猫  1950年
40.黄色い花  1954年
41.あじさい  1949年
42.海  1950年
43.夏みかん  1951年
44.なすときゅうり
45.ひまわり

46.内海の魚  1954年
47.夏木立  1952年
48.ピカのとき  1950年
49.とうろう流し  1950年
50.河童

51.山ごぼう  1951年
52.めし  1950年
53.とんぼとり  1949年
54.暮れる畑  1952年
55.みのりの秋  1951年

39.母猫  1950年
56.稲刈り
57.柿もぎ  1949年
58.村の夕暮れ  1954年
59.つわ蕗の葉  1952年
60.凡夫人とスケッチ  1955年
61.三滝の山  1951年
62.やさい・果物・人物
63.初雪  1951年
64.もちつき
65.雪  1951年
66.一粒百万倍  1950年
67.椿の咲く庭  1955年

丸木スマ再考
針生一郎
丸木スマは太田川沿岸に船宿と農業を営む丸木家に嫁ぐと、夫がハワイに出稼ぎに行った間、同居する両親、 兄夫婦にも仕えながら船宿と畑作を一身で支えた。 だが、臨月の腹をかかえて客室から食膳を運ぶうち階段をころげ落ちたため、 長男位里の右半顔に大きなアザを負わせたことをスマは可哀想とし、位里が好きな画家の道に進むにまかせたという。 位里のあとにも二男一女を設けた夫婦は、船宿をやめ田畑・建物を売って広島郊外に移り住んだのちも、 共稼ぎでさまざまの賃仕事をつづけたが、労働も貧乏も全然苦にしなかった。
 ところで、広島の原爆を被爆した夫が翌年死ぬと、入れかわりに戦死したと思われた三男が帰還し、 結婚してスマをひきとったから、働き通しのスマは70歳をこえてはじめてすることのない退屈をこぼした。 そこで丸木俊がスマに絵を描くことをすすめて画材をあたえたが、つぎに広島を訪れたときスマの絵を見て、 位里も俊も「不思議な絵だが、何かある」とおどろいたらしい。
 「色が張りあう」とスマ自身よく言うように、そこでは鮮明な色彩同士の対照と均衡で画面が織りなされる。 そこに描かれた植物、動物、静物、建物、乗物、人物、村の年中行事、村祭、芸能、子どもの遊びなどは、 いずれも眼前の対象のスケッチなどによるものではなく、愛と熱中によって彼女に灼きつけられた記憶からほりおこされ、 楽園、マンダラ図、童画の方へ自在に変容されたものだろう。 そこで丸木俊がスマの小品数点を女流美術展に出品すると、「どこの外国人が描いたか」と全作入選した。 翌年は位里が戦前船田玉樹、岩橋英遠らと日本画変革のため歴程美術会を結成したのち、 岩橋が院展に出品したので「歴程」から除名したほどの院展に、スマの作品を3点出すと全部入選で、 さらに2回入選して「院友」にまで推された。
 こういう評価の背景には、19世紀末以来、芸術的価値は技術の巧拙よりも、 無垢な魂にはぐくまれるヴィジョンの強さによるとされ、美術家がアフリカやオセアニアの木彫、 アンリ・ルソーらしろうとの「素朴画家」、精薄者や精神病者の作品にヒントを得てきた事情がある。 だが、丸木スマがマチス展で「わしの絵によう似とるのう」、ピカソ展で「この男、少し気が変じゃないか」と語ったと聞くと、 彼女は素朴派を一歩突きぬけ、生活の智恵と直結する自己のヴィジョンの造形文法を、すでに明確に自覚していたと思われる。






1875 明治8 1月2日、広島県安佐郡伴村(現広島市沼田町)の農家、上田伝平の長女として生まれる。
1897 明治30
(22歳)
安佐郡飯室村(現広島市安佐町)の丸木金助と結婚。家業の船宿を手伝うかたわら農業に従事。
1901 明治34
(26歳)
長男位里出生。
1931 昭和6
(56歳)
広島市三滝町に移り住む。家事に専念。
1945 昭和20
(70歳)
終戦。
1949 昭和24
(74歳)
このころ画家の丸木位里・俊夫妻にはじめて絵の手ほどきを受け、県美展(第1回)に出品、入選する。
1950 昭和25
(75歳)
第4回女流美術展に初入選。
1951 昭和26
(76歳)
女流美術展に「かに」「初子」「母猫」「川のかに」入選、このうち「かに」受賞。院展に「餌」「野」「海」入選。
1952 昭和27
(77歳)
女流美術展に「みのりの秋」「白い鳥」「鳥たち」入選。院展に「池の友達」「鳥の林」「せみがなく」入選。
第4回選抜秀作美術展に「池の友達」招待出品。
1953 昭和28
(78歳)
女流美術展に「庭先」「せどの山」入選。院展に「巣」「きのこ」「梅が咲く」入選、院展院友になる。
この年広島の福屋、東京の白木屋で個展開催。
1954 昭和29
(79歳)
女流美術展に「にわとり」「やさい」「蝶」入選、このうち「蝶」受賞。
童画展に「ふるさと」「動物」出品。
「丸木スマ画集」(大塔書店)発刊。
1956 昭和31
(81歳)
11月14日、東京都練馬区石神井の丸木位里宅で死亡。
同アトリエで遺作展開催。
1957 昭和32 東京の松坂屋、広島の福屋で遺作展開催。
1984 昭和59 「丸木スマ画集 花と人と生きものたち」(小学館)発刊

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