《原爆の図》紹介

絵をクリックすると各作品のページが開きます。
丸木俊によるそれぞれの解説を読むことができます。

第1部 幽霊
原爆の図 幽霊
第2部 火
原爆の図 火
第3部 水
原爆の図 水
第4部 虹
原爆の図 虹
第5部 少年少女
原爆の図 少年少女
第6部 原子野
原爆の図 原子野
第7部 竹やぶ
原爆の図 竹やぶ
第8部 救出
原爆の図 救出
第9部 焼津
原爆の図 焼津
第10部 署名
原爆の図 署名
第11部 母子像
原爆の図 母子像
第12部 とうろう流し
原爆の図 とうろう流し
第13部 米兵捕虜の死
原爆の図 米兵捕虜の死
第14部 からす
原爆の図 からす
第15部 長崎
原爆の図 長崎

原爆の図 第8部 《救出》

原爆の図 救出

いつまでも火は燃えつづけておりました。
ようやく身よりの人を捜して連れて帰りました。
けれど、途中でこときれていきました。

配給があるというので行列がつづきました。
乾パンを抱いたまま、娘は死んでいきました。

わたくしたちの妹のむこの両親は、
二人ともガラスの破片が全身にささっていました。
足首も、ももも、同じ太さにはれていました。
わたしたちのところに避難していましたが、
長男のところへ連れて行くことになりました。
荷車にのせて引いて行きました。
爆心地を通って海田市まで行きました。

しとしと、雨の降る日でした。
原爆のあと、広島ではよく雨が降りました。
八月というのに寒いような日が続きました。

本当は、「かあさんごめんなさい」といって逃げてきたんですと、
泣いている人がいます。

妻は夫を、夫は妻を、
親は子を捨てて逃げまどわねばなりませんでした。
救出がはじまったのはしばらくしてからのことです。

(原爆の図 第8部 《救出》 1954年 屏風四曲一双 縦1.8m×横7.2m)