原爆の図 第8部 《救出》
いつまでも火は燃えつづけておりました。
ようやく身よりの人を捜して連れて帰りました。
けれど、途中でこときれていきました。
配給があるというので行列がつづきました。
乾パンを抱いたまま、娘は死んでいきました。
わたくしたちの妹のむこの両親は、
二人ともガラスの破片が全身にささっていました。
足首も、ももも、同じ太さにはれていました。
わたしたちのところに避難していましたが、
長男のところへ連れて行くことになりました。
荷車にのせて引いて行きました。
爆心地を通って海田市まで行きました。
しとしと、雨の降る日でした。
原爆のあと、広島ではよく雨が降りました。
八月というのに寒いような日が続きました。
本当は、「かあさんごめんなさい」といって逃げてきたんですと、
泣いている人がいます。
妻は夫を、夫は妻を、
親は子を捨てて逃げまどわねばなりませんでした。
救出がはじまったのはしばらくしてからのことです。
(原爆の図 第8部 《救出》 1954年 屏風四曲一双 縦1.8m×横7.2m)















