《原爆の図》紹介

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第1部 幽霊
原爆の図 幽霊
第2部 火
原爆の図 火
第3部 水
原爆の図 水
第4部 虹
原爆の図 虹
第5部 少年少女
原爆の図 少年少女
第6部 原子野
原爆の図 原子野
第7部 竹やぶ
原爆の図 竹やぶ
第8部 救出
原爆の図 救出
第9部 焼津
原爆の図 焼津
第10部 署名
原爆の図 署名
第11部 母子像
原爆の図 母子像
第12部 とうろう流し
原爆の図 とうろう流し
第13部 米兵捕虜の死
原爆の図 米兵捕虜の死
第14部 からす
原爆の図 からす
第15部 長崎
原爆の図 長崎

原爆の図 第7部 《竹やぶ》

原爆の図 竹やぶ

人々は竹やぶへのがれました。
地震ではない、だが何でしょう。
焼夷弾のかたまりでしょうか。
爆弾にはちがいない、いや、殺人光線だ。

なにしろ、ピカッとしてドーンとひびいたのです。
いいえ、広島ではドーンは聞こえませんでした。
あまりの大きさでしたから、ピカです。
「ピカの時にゃ」と話します。

広島の郊外には竹やぶがたくさんありました。
竹も片側が原爆でやけどをしていました。
家を失った人びとは、竹やぶへ逃れていったのです。
そうして次々と息を引きとっていきました。

「助けてくれ」と呼ばれても、助ける勇気はなかったのです。
もうこれ以上、わたしたちの家に収容しきれなかったのです。
三滝の橋の下は屍でいっぱいでした。

その中に、年もわからず、男か女か、
生きているらしいと思われる人がうずくまっていました。
八月二十六日の朝、頭を落として死んでいました。
原爆が落ちたのは八月六日でしたから、
二十日間、じっと耐えていたのです。

屍の片づけをする人もなく、九月に入って台風となり、
たくさんの屍たちは海へ流れていきました。

(原爆の図 第7部 《竹やぶ》 1954年 屏風四曲一双 縦1.8m×横7.2m)