丸木俊死去
美術館に寄せられた声

山口なずなさん

牧野京子さん
先生が亡くなられたことこころからご冥福をお祈り致します。
今後は我々一般人が積極的に反戦活動をせねばならないですね。先生が安心して天国へ行けるように。           
宮木麻子さん
平和のために非常に重要な存在を、日本は、いえ世界は失ってしまったんですね。
いえ、そうではありません。丸木位里・俊ご夫妻が残されたものは、私たち人類のかけがえのない遺産として永遠に残るものです。
私達は、お二人の遺志を忘れずに心に刻んで、過去の過ち、未来の平和について考え続けて行かなければなりませんね。

俊さんのご逝去を機に、ご夫妻が切に切に訴えつづけたことを、今一度私も考えてみようと思います。

俊さんは晩年は、花や草などの自然の姿をお描きになることが多かったと新聞で読みました。
いくら訴えてもちっとも良くならない世界の現状をを嘆かれ、ついには、ご自分の悲報によって世界中の人に「過ちの歴史、そして平和についてもっと真剣に考えなさい。そして目を覚ましなさい!」と知らしめたのではないか・・・、そんな気がします。    
川上剛さん
丸木俊さんの帰天にあたり、心から永遠の安息をお祈り申し上げます。       

土岐都子さん(国立婦人教育会館)
私は、昨年4月にこの会館に赴任し、丸木美術館への訪問を楽しみにしておりました。
あいにくと忙しさが続き、いけないままになっていたこと、本当に残念です。

丸木俊先生には、昨年7月、会館に講師としてお呼びすることを計画しましたが、お年も調べ、やはり無理だろうとあきらめたことが、今さらながら、悔やまれます。

今では、私が大切にとっておいた「丸木俊絵本原画展」10月5日〜10日の絵はがきは、大切なものとなりました。
何人かの方にも、このハガキを使わせていただいて、「会館は丸木美術館の近くです、是非、お出でください」と、お便りしました。

丸木ご夫妻の作品は、薄れゆく戦争の悲惨さを伝える、大切な日本の宝です。すばらしい作品を残してくださいました。本当にありがとうございます。

心から、俊先生のご冥福をお祈り申し上げます。    

吉岡彩実さん
俊さんの訃報、メールにて知りました。お元気で年を越されたとばかり思っていましたのに。
20世紀を生きた大きな人がまたいなくなってしまったと思うと残念です。

俊さんの絵からはいつもエネルギーが発散されているので、なんだか亡くなったと聞いてもまだどこかで筆を持ってらっしゃるような気がします。不思議です。
存在が大きいとのこるものも大きいのですね。のこされたものから何をくみとれるのか、今まで以上に考えなくては。

私はそばでお見送りできませんので、ここからご冥福を祈っています。どうか私のぶんまで見届けてください。

美術館はこれからが大変だと思いますが、力を合わせて乗り切ることができますよう。微力ながら応援しています。    

永井進さん
先日20数年ぶりに丸木美術館に伺いました。
初めて知ったのは高校生の時でした。そのときも、確かに感じ入ることはたくさん有りました。
そして20数年経った今どうしてももう一度見たくなり、先日伺いました。

年齢を重ねた分、心に響く重さも、当時とはだいぶ違ったように思えました。
これからも年齢を重ねるたびに、見てゆきたいと思いました。しかし、もう新しい絵を見ることはできません。
心から、お悔やみを申し上げます。また夫婦で絵を書いているのでしょうか・・・     

前中栄子さん
本日、新聞で丸木俊先生の訃報を拝見致しました。

去年『ひろしま忌」で『原爆の図」を一つ一つ解説して頂き又『アウシュビッツの図」の大壁画の前で平和を祈る歌をうたわせて頂きました事を思い出しております。

16日ある所で「さとうきび畑」を歌います、丸木美術館での深く、そして重い感動を、もう一度、私の心に蘇らせて、先生への哀悼とそのご意志の平和の祈りへの願いをこめて、歌いたいと思っております。
丸木 俊先生のご逝去を悼み心から、ご冥福を、お祈り申し上げます。         

中村淑子さん
21世紀を目前に、丸木先生のご訃報に接し心より残念です。ご冥福をお祈りいたします。
美術館活動がますます先生のご意志を伝えつづけ、新しい世紀の石杖となるよう願っております。          
港万尋さん
丸木俊先生のご逝去に際しまして、お悔やみを申し上げます。
人間や社会、または国歌に対して厳しい眼差しをもって描き尽くした先生の偉業を思い、また関係者の皆様方のご心痛を考えますと、非常に残念でなりません。

実は是非一度お会いして先生のお話しをお聞かせ願えればと案じておりましたが、なかなかその機会にも恵まれませんでした。
がしかし、先生の残された膨大な作品群を前に、観る毎に繰り返し問われる日本の体験を正確に伝え、また私たちは新たな経験とともに様々な現実を見つめていかねばならないと感じております。
心よりご冥福をお祈りします。       

ジーン・イングリスさん
俊さん、やすらかにお眠りください。
私がまだ若いときに、丸木美術館で会い、可愛がってもらい、常に人間として成長しようという俊さんの姿に触れたことによって学んだことは、計り知れないほどでした。
ご自分の行動に対して強い責任感を持つ一方、周りの人達をあたたかい、やさしい目で見る俊さんは、私たち一世代若い者にとって、まるで母親のような存在でした。
俊さん、どうか、あの世からも見守ってください。

森山なつこさん
丸木俊さん、今まで本当にごくろうさま。ありがとうございました。
平和のメッセージを流し続けることは、ものすごいエネルギーだったろうと思います。
すべての命あるものにむけられるやさしい心づかい……愛……これからは位里さんといっしょに天のうえから、一日も早くこの地球から殺し合いが消えるよう、より強い光を注がれるのだろうなと思います。
残された私達はこつこつとそれを形づくっていくのが仕事。
お会いしたことはありませんが、俊さんの絵に出会えて幸せです。 

小野悌次郎さん
巨木が自然に倒れるように、天寿を全うされたお二人、位里さん俊さん、あなた方の反核の意志は、わたしたちのものです。

ぼくは一九七〇年代の初頭から、しばしば東松山の下唐子をお訪ねして、人生いかに生くべきか、を学んできました。
今は二児の母となっている長女二十八歳が五歳の時、ご挨拶をしたら、凧上げにつきあって下さったりほら貝を吹いて下さったりしました。


にわとりや山羊を飼い、焼き物をなさり、志賀義雄さんが、ぐい飲みを配ったり、地球破壊の未来をにらんでの、原子力による電力の拒否でありました。
画家としての協業の営みは、正しくノーベル賞を越えるものでした。

『女絵かきの誕生』―ある愛の自叙伝―は後世に遺る名著です。
ぼくは授業や文学学校の講義の中で、幾度か取り上げさせていただきました。
主題の発足、発展ということと協業とについて考える恰好の教材でした。
生徒を連れて遠足に出かけたこともあります。そのつど、気軽に若い世代に語りかけてくれました。
お二人の足跡は、次世代に語り継がねばなりません。

金城実は、戦争と人間のレリーフを沖縄の地で、刻んでいます。佐喜眞健夫は美術館で先生方の絵を守っています。
 命どう宝=命こそ宝です。
 心よりご冥福を祈ります。
    八丈島にて 

日高六郎さん
大きな人が、私たちのところから、去っていかれました。残念です。
東松山で、全国のさまざまの集会で、何度もお目にかかりました。集会のときは、私はあなたのほらがいを、あの空にひびく音を心待ちしました。

原爆、沖縄、水俣、朝鮮の同胞たち。戦争の被害者、環境破壊の受難者、差別の犠牲者たち。
それらの人々の心を、あなたは、夫・位里さんとともに、絵筆で私たちに伝えて下さいました。
そして、子どもたちと遊ぶ絵本のなかで、未来への遺言を書いて下さいました。

私も老齢。遠いフランスの冬空のもとで、いま大先輩をしのんでいます。私も、命のあるかぎり、あなた、丸木俊の歩んだ道を歩きたいと思います。
        二〇〇〇年一月一五日 

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