「3、2、1、ゴー!」
 マイクを通し部屋中に響くリナの声で、一気に観客たちは熱狂した。
 彼女の声をかき消すほどの歓声が、さらに全員のテンションを上げる。
 ベースやシンセサイザーの伴奏をバックに、リナは歌いだした。
   KNOCK KNOCK あなたの声が ドアをたたくの everyday
   KNOCK KNOCK ずっとあたしの こころのドアを everytime
 少し早めのリズムにあわせ、ステージの上をはねるように移動する。
 元々さして大きくもないステージだが、リナを見ているとなお小さなステージに見えた。
   はぐらかしてる? なに思ってるの?
   いつもそうして 迷わせないでよ
   あたしのまえで トボケてばかりは
   なんのためだか 白状しなさい!
 歌に合わせて、リナが挑戦的に観客を指さす。
 客たちが、大きく一度声を上げた。
 「すごいな…」
 その客たちの後ろから、ガウリイは感嘆の声をもらしていた。
 他人よりかなり身長の抜きん出ている彼には、その場の情景が全て見えている。
 薄く汗ばみながら歌うリナも、彼女に釘づけとなっている人々の顔も。
 観客たちはまるで、1つの生き物になったかのようだった。『リナの歌に酔う』という1つの意志で作りあげられた、生き物。
 その熱に満ちた眼差しは、まさしく神を見るかのように一途ですらあった。
 ガウリイの隣でコンテナの上からステージを見ていたアメリアが言う。
 「すごいでしょう。リナのステージ」
 「……ああ」
 頷くしかできないほど、本当に今のリナはすごかった。
 彼女のファンである人々の目だけではない。ガウリイの目にさえ、彼女は”女神”に映ったのだから。
 今日のリナは、この間会った時と同じように、薄いメイクと垂らしたままの髪型。どこでも売ってるTシャツとGパン姿は、かわいくはあるけれど、町ですれ違った時にわざわざ足を止めてまで見送ることは少ないだろう。
 しかし今、ステージに上がっているリナは別人だった。きれいな服や凝った化粧で得られるであろう彼女の『可愛らしさ』とは異なる、力強い純粋な『美しさ』だ。
 職業柄、そういう人の目を魅きつけるタイプの人間を、ガウリイは何人も見てきた。だが、これだけ強烈に己の印象を他人に焼きつけられるのは、芸能人でもごく一部だろう。
 「なんというか……」
 ただただ、ため息ばかりがもれ出てくる。
 まるで初めてサーカスを見た子供のように、ガウリイも完全にリナの歌に魅入られていた。
   ここにいて 抱きしめて 離さないで
   ただ1人 すごす夜 ふるえてるの
 今度の曲は切なげなバラード。それに合わせて、会場の雰囲気もガラリと変わった。
 さっきまで騒がしかったのがウソのように、辺りがシンと静まりかえる。
   もう見えない 姿もとめ 夜の中走っても
   この先には 何も見えず あなたがわからないわ
 たった今、失恋してきたばかりの女性の表情で、リナは歌う。
 先程の太陽みたいな印象とはまた違う、月のような『光』がそこにあった。
 儚げで、静かで、けれど闇夜では何よりも救いになる光源の、月。
 穏やかな月の光は、太陽と別の輝きで再び人の心に染み入る。
 「………」
 今日は始めから驚かされてばかりだ。
 ガウリイはもう一度、そう思った。
 会場の雰囲気を180°変える、というのは多くのアーティストがやっていることだが、それはたいてい舞台や衣裳も同時に変える。人間とは、目からの情報に重きを置くものだからだ。
 それを視覚的な効果など一切ナシでやってのける音楽センスは、驚くべきものと言えよう。
 ガウリイは改めて、リナに賞賛の眼差しを送った。
 リナのライブは丸2時間、休むことなく続けられた。
 休憩なしにもかかわらず、リナもバンドのメンバーも観客も、まるで疲れという言葉を忘れてしまったかのように盛り上がっている。
 もちろん1番体力を使っているのはヴォーカルのリナだが、彼女の表情は最初の方にも増してキラキラ輝いていた。玉のような汗が首すじを伝っていくつも流れ落ちるが、その歌声にまったく遜色はない。
 ガウリイから見ただけでなく、平均的な女性と比べてもかなり身長の低くてスレンダーな体つきのリナだが、普通の人とは比べものにならない存在感を持っている。
 彼女の身体から溢れだすパワーに、その存在が2倍3倍といくらでも大きく見えるのだろう。
 リナの歌う曲は、とてもバリエーションに富んでいた。恋愛や失恋の歌だけでなく、風刺のきいた歌や応援ソングもあった。音の作り方も、かなり幅広い。
 しかしそれでも、彼女の瞳のように前向きな姿勢を一貫して歌詞にとり入れている。その中には、ガウリイ主演のドラマ主題歌もあった。
 そして、時計の針がちょうど正時を指した時。
 これまで歌しか歌っていなかったリナが、初めて言葉を口にした。
 「みんな、今日は来てくれてありがとう。これが、ここで歌える最後の曲よ」
 「最後?」
 ガウリイは思わずとなりのアメリアに問いかける。アメリアは小声で、
 「リナがメジャーデビューしたからよ。ここは、インディーズ専門のライブハウスだから」
 「ふぅーん…」
 リナが『最後』と告げると同時に周囲から名残惜しげな声がとぶ。行くな、だの、ここにいて、だのといろいろあるが、そのほとんどは言葉の裏に”がんばれ”というメッセージがこめられているように聞こえた。
 「この曲はどうしても、最初にみんなの前で歌いたかったの。聞いてくれる!?」
 ワッ、とまたまたあがる歓声。それがおさまるのを待って、リナは言う。
 「あたしの新曲、『True's』。これが初のお披露目よ!」
 彼女の言葉を待っていたのだろう、絶妙のタイミングでバックバンドが演奏を始めた。
 軽くステップを踏んでリズムをとりながら、リナが歌いだす。
 その足取りと同じく、軽やかな風のように。
   あなたに出会えたこと
   好きになったこと 抱きあえたこと
   たくさんの奇跡をもらえた日が
 (あ、この曲……)
 物忘れの激しいガウリイの耳にも、こびりついて離れなかった曲。
 それは先日、食事の後リナがひっそり歌っていた、あのメロディだった。
   2人会うまでの時間
   埋めていこう この想いで
   あなたとならできるはず
   あなたとだから願うよ
 あの夜の風が、再びガウリイに触れていった。
 優しく頬をなで、よどんだ気持ちさえ拭ってくれそうな、あの風が。
 そして、あの夜リナに感じた、不思議な胸のあたたかみも。
   ずっと2人 愛してる………
 ポロン、とシンセサイザーが曲の余韻を残して伴奏を終える。
 直後この日一番の歓声が、外にまで届くほどの大音量で響きわたった。
 「それじゃあみんな、またどこかで会おうねーー!」
 元気良く叫んで手をふるリナに、ガウリイはなぜか胸が騒いだ。
 まるで別人のような顔を、今日1日でたくさん見せたリナ。
 このまま彼女が見えなくなると、自分の目の前から永遠に消えるような気がした、というのが一番近いかもしれない。
 瞬間、きびすを返しかけたリナが、ガウリイとアメリアの方を向いた。
 「……!」
 ガウリイはまたも、驚いて息をのむ。そのあまりの唐突さに。
 2人へ向かって茶目っけたっぷりに片目をとじてみせたリナは、間違いなくこの前会ったリナだった。
 「……なんだ」
 ちゃんと戻ってくれた。神から人へ。
 リナは歌ってる時は女神でも、普段はちゃんと女の子だ。
 決して、手の届かない存在ではない。
 (ん? なに考えてんだオレ?)
 ガウリイが物思いにふけってる間に、リナは奥へ引っこんでしまった。気の早い客はもう帰り始めている。
 まだ結論を出せないでいるうちに、ガウリイの腕がぐいっと引っ張られた。
 「さあガウリイさん! 楽屋に行きましょー!」
 「が…がくや?」
 「もちろんリナの楽屋ですよっ! さあさあさあ!」
 「あ…ああ」
 パワフル少女のアメリアに引きずられつつ、ガウリイは急いで後をついていった。