| ちらちらと 白い雪が レンガの道に降る 落ちては ほら とけて消えるよ 
 
 四月の雪は とてもはかない 
 四月の雪 それはまぼろし 
 
 空の色は鈍い灰色。雨になる、とは思ってたけど、降ってきたのは雪だった。 こんなに寒い日は、みんなあまり外にも出たくないようだ。通りを行く自動車でさえ、思い出したようにときどきしか、姿を見かけることはなかった。 
 人の少ない町の中。 (雪、きれいだけど…………寒すぎるわよ) 
 小さく呟いて。――いや、呟こうとして。 
 (そうか……。 
 
 ――どんな事故だったのかは、聞かないでほしい。 
 しかし。さすがに、そのまま一生ノドを潰しておくわけにもいかない。幸い診断の結果、ウデのいい外科医に手術してもらえば治るらしいし。 (でも、まさかこんなに待たされるとは、ね……) 
 医者は、たしかに優秀だった。そう、優秀すぎるほどに。 
 さすがに、病院長に怒鳴り込み――しゃべれなくとも、迫力は伝わったらしい――やっと数日以内に手術してもらえることになったのだ。 そんなわけで、気分転換にサンポしてみたのだが…… (もろに、失敗だったかも……) 
 昨日はもう少しあたたかかったから、道ばたの雑草も小さなつぼみをつけていたというのに、今日の雪でおあずけをくらっているようだ。 
 他人事ではない。あたしの身体も、ずいぶん冷えてしまっている。 くっそぉ、外出初日からこんな天気なんて、反則よ反則っっっ!! (…………。病院戻ろ) 
 タイクツな場所ではあるが、こんなとこで雪に降られているよりマシである。 そこで、彼に出会った。 
 
 しかしそんな格好をしていなければ、モデルか俳優と連想して当然の外見だった。男のくせにやたらと長い、その上とてもキレイな金髪。こんなお日さまのない天気でも、キラキラ光っている。 
 絵描きの男は、あたしが近づくとゆっくり振り返った。 「……なあ、お前さん」 
 男が話しかけたのは……あたし? 
 「いきなり呼び止めて、すまん。 
 …………。…………は? あたしが黙っていることを、不審がっていると思ったんだろう。金髪男はとりつくろったように、つっかえつっかえ説明しだした。 
 「いや、そのな。あ、別にアヤシイ勧誘とかじゃないぞっっ! 
 あたふたする男を見てるうちに、あたしは気づいた。 
 おかしな絵描きに興味をもって、あたしは彼に近づいた。 (――あたし、声が出ないの) 
 普段のおしゃべりな自分からは、想像もつかないほど端的な説明。でも、さすがに一部始終を見知らぬ男に話すシュミはないし、いくらなんでも面倒だった。 
 「……そうか。あ、でも、こうして答えてくれるってことは、オレの言うことはわかるんだな?」 
 彼は少し躊躇して、押し黙る。 「……そうなんだ。ちょっと、事故に遭って、な」 そうか。あたしと同じなんだ。 
 「でも、目が見えなくても絵は描ける。それで、お前さんを描いてみたいと、そう思ったんだ。 
 ふむう…………。 これがガラの悪い男で、「よお姉ちゃん、オレこの近くのアパートに住んでるんだ」なんて誘いをかけてきたら、そいつが何をしたいのか、考えるまでもない。声の出ない、華奢な身体つきの若い娘なんて、ケダモノの欲望を満たすには最適のゴチソウだろう。 
 しかし。目の前の男からは、そういったギラギラした、殺気じみた気配は感じなかった。 …………見捨てられないかも…………。 
 元々、声が出ないからといって並の男に遅れをとるあたしではない。まして、フリじゃなくホントに目の見えない彼が、あたしをどうこうできるとも思えないし。 (いいわよ。モデルやったげる) そう、彼の手のひらに書くと。 「ホントか!? ありがとう! よし、さっそく行こう!!」 
 捨てられそうな子犬から、子犬をもらって喜ぶ人間の子供の顔になって、ガウリイは言う。 
 
 そのせいだろうか。キャンバスに描かれた絵も……どこか、寂しい。 ……人がいないのだ、彼の絵には。 本来なら人がいるべき街角の絵でも、人の姿はおろか、人が生活をしている気配すら感じられない。 「その窓際のイスに座ってくれ。日当たりもいいから、きっとあったかいぞ」 
 彼なりの、気遣いなのだろう。この部屋の中で、たぶん一番の特等席を、あたしに譲ってくれた。 あたしの疑問をよそに、ガウリイは喜々として、白いキャンバスをセットしてゆく。目が見えないとはいえ、勝手知ったる自分の家、手慣れたものだった。 「このアパートは、結構由緒あるものなんだぜ」 絵の具入れだろうか。彼は白い箱から、いくつかの絵の具を取り出す。 
 「オレみたいな、画家を目指す若いヤツが、ここに集まってくるんだ。中にはかなり有名な画家が、ここ出身だったりしてな」 
 ふと思いついただけのことを手に書いてやると、ガウリイは本当に嬉しそうに笑った。 「……よし、準備できた、と。それじゃあ、イスに座って」 あたしは不思議と、自分でも驚くほど素直な気持ちで、指定されたイスについた。 
 
 彼が視力を失った後、人間を描くのは今回が初めてだということ。 その、最初のモデルがなぜあたし!? と、いつものあたしなら聞いていただろう。実際、その疑問は胸の中にわきあがってきたのだ。 
 しかし。あたしからガウリイへ意志を伝達するには、彼の手に文字を書くしか方法がなく。作業途中の雑談のため、いちいち席を立って、ガウリイの集中を乱したくなかった。 
 そのうち集中しだしたのか、だんだん彼の口数は少なくなって。 ――普段のあたしからは考えられないほど、静かな時間だった。やっぱりおしゃべりしない分、気持ちが落ち着くのかもしれない。いつもだったら、絶対「飽きた!」って暴れ出すのに。 (なんか……いいかも――) 
 目を閉じると、聞こえるのはただ、ガウリイの動かす絵筆の音。シャッ、シャッという、キャンバスの上を滑る心地よい音。そして絵の具のにおい。外からは、雪の降るしめったにおい。 
 目を閉じると、開いていた時には気づかなかったものに、触れられる気がした。 
 今まで知らなかった、ゆったりとした時間。 
 
 ガウリイの家に通い続けて、数日。ある時、突然彼がそう言った。 
 「……オレ、さ。絵を描いても売れないんだよ。原因はわかってるんだけど……。 
 ――それは、今この部屋に並んでいる、寂しげな絵のことだろうか? 
 どんな風に変わるんだろう。たぶんそれは、彼にもわからない。もちろん、あたしにも。 
 「変わるとしたら……いい方向に変われれば、やっぱいいよな」 口にできない想いを、見えないと知ってても、あたしは笑みにたくして微笑み返した。 
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