「――ふむ。今朝の食事は洋食のようですね。コーンスープの香りがします」
 隣を歩くセイバーがいきなりそう言った。言われてみれば、居間の方からはそれらしきニオイがただよってくる。
 ふと、こんな状況でもセイバーは困らないのかな、なんて考えが頭をよぎるが、すぐに打ち消した。
 困るに決まってる。だからこそ、俺はこうしているんだから。
 右手で居間の障子を開けると、台所にいた桜が気づいてこっちを振り向いた。
「あ、先輩、セイバーさん。おはようございま――――――――――――――――」
 にこやかにあいさつをした顔が、途中で石像のように固まる。
「ああ、お、おはよう、桜」
「おはようございます。桜」
 それには触れず、いつもどおりのあいさつをする俺たち。
 桜は、ぴるぴると震える指でこっちを指している。
 だが言葉にしないということは、察してくれたということだろう。たぶん。
 勝手に解釈し、セイバーをエスコートして食卓につかせた。
「せっっ……先輩……?? その、なんで今朝は、あの、セイバーさんと、その…………」
 ぴるぴると揺れる桜の指。
 ……うっ、やっぱり察してくれたわけじゃなくて、これから聞こうってだけか。
 彼女の指さした先には、さっきから――いや、セイバーの部屋を出たときから、ずっとつなぎっぱなしの俺たちの手。
「これ、だよな」
 つないだままの手を軽く持ち上げると、桜はとつぜん髪を振り乱してかぶりをふった。
「あ、朝から、そんなっ!? ふ、二人でイチャイチャするなんて、フケツ、フケツですっっ! わ、わたしだって、わたしだって……!!」
「んー、どうしたのよぉ桜……。騒がしいわよー?」
「ね、姉さん! あれっ! あれ見てください、あれっっ!」
 狙いすましたみたいなタイミングでフラフラと現れた赤いいそぎんちゃくに、桜が泣きついた。一方、泣きつかれたいそぎんちゃくは、ゆるゆると俺たちの方を見て――――
「――――ふぅぅん♪」
 人を通り越し、今度はあかいあくまとなった。
「なあに? 珍しいじゃない、二人とも。朝っぱらからわたしたちの前で、そんなに仲良くするなんて。
 どういうこと? まさか婚約発表? それとも子供でもできた?」
 こころなしか、そんなに、の部分を強調して遠坂はにやにや笑う。あかいあくまの後ろでは桜が顔を真っ青にして、『……婚約……こども……こんにゃく……こにゃっく……ころも……』と妙なうわごとを呟いていた。
 さすがにこれ以上ほっとくと騒ぎが大きくなってしまうので、弁解を試みる。
 ――前に、セイバーが口を開いた。
「どちらも違います。シロウは私の手助けをしてくれているだけにすぎません」
「へえー? 手をつなぐことが? なんの手助けよ?」
「十分助けになります。なにせ今の私は――――

 目が見えていませんから」




「「っっっ…………!!?」」
 遠坂のにやにや笑いも桜の独り言も、一瞬でかき消える。二人ともようやく、セイバーの非常事態に気づいたようだ。遠坂が勢いこんで怒鳴りつける。
「ちょっ、セイバー……!? なに平然とした顔してんのよ!! ホント!? 目が見えないって!!」
「はい。おそらく先日の薬の影響でしょう。今朝、目がさめたときから、視界になにも映りません」
 そうなのだ。今朝は珍しくセイバーが起きてくるのが遅いので起こしに行ったところ、彼女は部屋のまんなかでボーッと座りこんでいた。
 それでも普段どおり行動しようとした彼女に、俺も最初はダマされた。しかし部屋の障子を開けようとした手がおそるおそる伸ばされたのを見て、異常に気づいたのである。
 というわけで、ここまで手をつないでのエスコート。失明した人なんて周囲にいないからよくわからなかったけど、なんとかセイバーを誘導できて一安心だ。
 ……いやいや、安心なんてしてられない。なにせ今日は。
「そんなわけで、今日は俺が一日、セイバーの目になることにしたんだ」
「衛宮くんが?」
「ああ。やっぱり目が見えないと、いろいろ不便だろ」
 幸いにも今日は休日。一日セイバーのために潰しても問題はない。
「悪いな、遠坂、桜。今日は家事まかせてもいいか?」
「ええ、それはかまいませんけど……」
 不安そうな桜の声。やっぱり心配してくれてるんだろう。彼女の気がかりを取り除くため、俺は笑ってみせた。
「大丈夫だよ。今日一日だけだ。明日にはセイバーの目も、ちゃんと見えるようになってるから」
「はい。あ、いえ、そうじゃなくて……」
 ごくり、と息をのむ、桜の真剣な顔。
「……セイバーさん、お風呂とかトイレはどうするんですか?」
 へっ?
「ま、まさか、お風呂もトイレも一緒にするとか……!? それは、ゼッタイにダメです!!」
 むん! と力の入った訴えをする桜。な、なにゆえそんな、強固なご意見を?
 セイバーが見えない目で桜の方を向き、小さくうなずく。
「心配は無用です。風呂場や手洗いまで誘導してもらえれば、あとはなんとかなります。
 見えないので普段より時間はかかるでしょうが、不可能ではありませんから」
「そ、そうですか。それなら……」
 ほっとひと息つく桜。こんなに男女の混浴を否定するなんて、桜はこの家の風紀委員にでも就任したいんだろうか。
 落ち着いた彼女に、遠坂が横からくちばしをいれた。
「ムダよ、桜。さすがにトイレはまだないだろうけど、こいつらたまに一緒にお風呂はいってんだから。いざとなったらそりゃそっちぐらいは一緒に入るでしょ」
「そんなっっ……!? ほんとなんですか、先輩!!」
「あー、その、まあ……」
 ついお茶を濁す。
 それでも否定しなかった俺を見て、桜はへたりっと座り込んだ。
「……まさか……夜に重なってるだけでなく……そんなとこまで……こうなったら……」
 ぶつぶつと、またつぶやき始めるのは正直怖いからやめてほしい。気のせいかもしれないが、なんだか我が身にだけ危険を感じる。
 これはつまり、桜が藤ねえ2号になるという予兆なのではあるまいか。こう、俺だけオシオキのために追い回されそうな。
「はあ……桜もかわいそ」
「む? なんでさ」
 やれやれと首を振る遠坂に聞くも、彼女はさらにそのリアクションを続けるばかりで、答えてくれなかった。
「ま、いいわ。ともかくごはんにしましょ。
 配膳はわたしたちがやるから、士郎はそこに座ってて」
「あ、でもそれっくらいなら――」
「ダメよ。さすがのセイバーも目が見えないのは不安でしょうからね。今日は一日中、傍にいてあげなさい」
 パチリ、とウインクひとつ。それに感謝の会釈を返す。
 こいつはこういうところがいい女だよな。気っ風がよくて、威勢がよくて、でも気遣いは忘れない。
 お言葉に甘えて、セイバーの手を握るのに専念する。
 言われてみると、やはり心細いんだろうか。彼女の手の力が、いつもより強い。
 たしかにいつも見えている世界が突然見えなくなったら不安に決まってる。食事の内容がにおいでわかるから、風呂やトイレを問題なく使えるから、彼女が大丈夫なんてことはない。
 あらためて、今日はセイバーの目になろうと決めた。彼女が今日一日を、安心してすごせるように。
 やがて藤村組の凸凹コンビや、ライダーもやってくる。藤ねえはずいぶん心配していたけど、目が疲れているだけだというセイバーの説明に、首をかしげながらも納得してくれた。
 さて、それはともかく、朝食だ。
 今朝はセイバーが言い当てたとおり、コーンスープも入った洋食のメニュー。ベーコンエッグに食パンは遠坂お気に入りのイチゴジャム付き。自家製ドレッシングをかけたシャキシャキサラダに、デザートとしてリンゴもある。
 が、セイバーはそのうまそうな朝食を前にして、ちょっとためらっていた。そうっと伸ばされた手が食卓につき、そこからそろそろとフォークを探してさまよう。
 そっか、手元が見えないから、道具が使えないんだ。彼女が大丈夫と言ってたトイレなんかとは違って、食器の置き方は毎回微妙に違う。一度場所を把握してしまえばだんだん慣れてくるかもしれないけど、伸ばした指がスープにつっこみそうで危なっかしい。
 だから俺はひとかけら、セイバーの分の食パンをちぎって、ジャムをつける。
「ほら、セイバー、あーん」

 ぶゥッッッ!!

 盛大に藤ねえが噴き出した。
「うわ、汚ねえ!?」
「ややや、やっかましいいぃぃ!! な、ななななな、なんばしちょるかぁぁこの愚弟!!??」
 藤ねえの言語分野が崩壊してる。見れば、他の四人も信じられないものを見る目でこっちを見てた。
 そんな皆の視線がわからないセイバーのみ、ちょっとだけ迷っていたけど、
「……あ、あーん」
 素直に開いた口へさっきのパンのかけらをつっこむ。
 もぐもぐこくん、とセイバーのノドが動いたのを確認してから、今度はタマゴを切り分けて――
「って、先輩、まさか食事の間中ずっと――――!?」
 絹を裂くよな桜の叫び。な、なんだよ、さっきからみんなして?
 一番恥ずかしいのはやってる俺なのに、どうして周りの反応の方がここまで激しいのか。
「だってしょうがないだろ。セイバーが目が見えなくて、食べるのに苦労してるんだから」
「それならわたしがやります!! 先輩が手をつないでるのだけでも……なのに、あ、あーんだなんて、そんなうらや、いえ、はしたないことっっ!」
「そうよそうよ! わたしだってお兄ちゃんと手をつなぎたいのに! わたしにも食べさせてよシロウ!
 ほら、あーん♪」
「イッ、イリヤさん……!?」
 イリヤの乱入で、さらに騒ぎが大きくなってしまった。最近はいつもの光景とはいえ、どうやっておさめればよいのやら。
 と、そんな中、遠坂がちょこちょことセイバーに近づく。
「はい、セイバー、あーん」
「は、はい」
 開かれたセイバーの口に、遠坂は手に持っていたパンを一かけらつっこんだ。
 またもむぐむぐこくん、と食べきるセイバー。
「……うわ。なんか文鳥のヒナみたいで、かわい……。もう少しやらせてよ、セイバー」
「え、ほんと?」
 興味を持った藤ねえが、桜が、イリヤが、手に手にパンやプチトマトやリンゴをつまんで、セイバーの口へどんどん入れてゆく。彼女は絶え間なしに食べさせられるそれらをどうにかこなしていたが。
「――っ、ちょっと待ってくださいっ」
 やっと見つけた合間をぬって、待ったをかけた。
「食べさせてもらえるのは嬉しいですが、そんなに次々入れられても困ります。それにタイミングがバラバラで、心の準備をする暇がない。できれば誰か一人にしていただけませんか」
「え、そお? じゃあわたしがやろうか?」
 そう言うイリヤの手には、次に入れようと思っていたらしき、丸々そのまま切り分けてないベーコンエッグ。
 彼女も不穏な空気を感じ取っていたのか、うさんくさげにイリヤの方に顔を向け、
「…………いえ。やはりシロウ、貴方にお願いします。シロウが一番安心できますから」
「お、おう。まかせろ」
 元からそのつもりだったんだから、異存のあろうはずがない。
 そういえば、まだこっちは食べさせてなかった。
 湯気をたてているコーンスープをスプーンですくって、ふーふーと息をふきかけて冷ます。
「セイバー、スープいくぞ。あーん」
「はい、お願いします」
 軽く開かれたセイバーの口の中に、スプーンを入れて傾けてやると、彼女は器用にスープをのみほしてゆく。
 うん、この調子ならうまく全部食べさせられそうだ。
 ほっと一息ついたところで、彼女の口元に黄色いものがついてることに気づく。
「あ、セイバー、口汚れてる」
 今のスープか、それともさっきのタマゴか。わからないが、放っておくのもいけない。セイバーは焦って拭くものを探しているが、フォークの位置もわからないのにそんなの見つかるわけがない。
「ほら、じっとして」
 近くに置いてあったティッシュで、口元をぬぐってやる。自分が何をされているのか途中で理解したのか、セイバーはちょっとだけ身をひいた。
「シ、シロウっ……。大丈夫です、布を渡してもらえれば、自分で拭けます」
「でもちゃんと拭けたかどうか、わからないだろ」
 だったらこっちのが効率がいい。
 いつものセイバーなら、ここで二言三言言い返すんだが、自分がいつもの状態でないのは自覚があるみたいだ。たったこれだけの説得で大人しく黙り込み、俺の手にまかせている。
 よし、これでキレイになった。
 …………と。
「って、あれ?」
 そこで初めて、周囲の光景に気づく。
 ライダーはまだ朝食が残っているのに、食卓に背を向けてテレビを見ているし、遠坂はやぶにらみの目であさってを見ながら紅茶をすすっている。桜は「せんぱ……が、く…………きっ……」と、ぶつぶつ口の中で何事か言いながら畳につっぷしていた。
 しかも。
「イリヤ。藤ねえの姿が見えないんだけど」
「タイガなら、さっき虎の咆吼をあげて走り去ったわよ。それも気づかなかったの?」
 すまん。気づかなかった。
 しかしきっちり朝めしを終えているあたりが、藤ねえというかなんというか。
 遠坂が、そっぽを睨んでいた目のまま、今度は俺にターゲットをロックオンする。
「衛宮くん……。貴方、自分がしてること、たまに恥ずかしくならない?」
「う……。そ、そりゃあ……」
 俺だって、セイバーにあーんするなんて、普段なら絶対やれない。でも今日、俺はセイバーの目になると決めたのだ。目だったら、ちゃんと恥ずかしがらず、主人の役に立たなければ。
「…………あーんだけじゃないんだけどね……。っていうか、名目があればできちゃうところが…………」
 はああぁぁあぁぁああぁ、と、バーサーカーの体重より重そうなためいきを吐き出す遠坂。
 そりゃ恥ずかしいけど、理由があるからできるんだろう。何が言いたいんだ。
 首をかしげていると、セイバーが俺の方を向いて頬をふくらませる。
「シロウ」
「あ、悪い。食事の途中だったもんな」
 もう一度、パンをちぎって――――

「先輩とセイバーさんのばかあああぁぁぁぁあああああぁぁぁ!!!」

 響いた絶叫に、思わず俺たちは身をすくめた。
 彼女らしからぬ大声で叫んだ桜は、そのまま離れへと駆け戻ってゆく。
 ライダーが「サクラ!?」と慌てて後を追った。
 ――だから。当事者の俺が一番恥ずかしいってのに、なんで桜が叫び出すんだろう。
「昼からは、部屋で食べた方がいいかな……」
 ぽつりと呟く。あえて平常心を保とうとしているのに、周囲が過剰反応するとつられて恥ずかしくなる。
 その独り言に、隣から生真面目な声が返ってきた。
「いえ、シロウ。私の身体は目が見えない以外はまったくの健康体です。ならばきちんと食卓で食事を摂るのが望ましい。
 自室で食事を摂るなど不健康です」
「そっか。それもそうだな」
 俺も部屋でメシを食うなんてどうも落ち着かない。風邪で寝込んでる人間ならともかく、そうでもないのにみんなから離れて部屋で食べるのは寂しいだろう。だいいち、慣れないし。
 恥ずかしいのは俺がガマンすればいい。それで丸く収まる……よな。たぶん。
「あー。そういえばイリヤ。アインツベルンの森の景気はどーなのよ、最近」
「そうねー。そろそろ春だから、動物たちが恋の季節みたいで、鳴き声うるさいわよー」
 俺がセイバーの口に食べ物を入れ続けている間。
 なぜか遠坂とイリヤは、こっちを見ようとしないまま、気の抜けた会話をかわしていた。










「なあ、セイバー……。ほんとにやるのか?」
「むろんです。せっかくの機会なのですから、ぜひ試してみたい」
 きっぱりと言い切るセイバーは自信まんまんだが、俺としてはどうにも心許ない。
 セイバーの目が見えないのだから、今日の鍛錬はとうぜん中止。そう思っていたのだが。
「一度試してみたかったのです。己の心眼というものを」
 という、セイバーの達人特有の申し出により、手合わせとあいなった。
 目の見えないセイバーがどんな動きをするのか気になったらしく、イリヤやライダーも顔を出している。
「それで、セイバー。鍛錬じゃなくて、手合わせでいいのか?」
「はい。勝負は一本限り。それ以上は、私が手加減を間違えてしまいかねませんから」
 恐ろしいことを言ってくれる。手加減するつもりはあるが、たぶん彼女にもいつもみたいな細かな調整がきかないのだろう。
 向かい合って、試合形式の礼をする。竹刀をかまえ、セイバーを見据えた。
 ……とはいえ、今の彼女は目が見えない。こうしていると相変わらず隙ナシのかまえだが、自分から攻めてくるのは難しいはず。せいぜい俺の動き――足音や剣が風を切る音、こちらの気配を掴んで、攻撃を受けるのがやっとだろう。
 いつもならセイバー相手に俺が手加減するなんて考えられないんだけど、今回ばかりはいつもと違う。セイバーは自分の方が手加減をするつもりらしいが、はたして俺が本気でいって、彼女にケガをさせないのか――

「はぁっ!」

 え?
 気合い一閃、なんとセイバーは見えない目のまま、こっちへ突進してくる。
 まさか彼女の方からしかけてくるとは思わなかったので、対応が遅れてしまった。
 竹刀の切っ先が、正面から強く右肩を突く。
「げほっ……!?」
 心の準備もまだだったから、まともに肺まで衝撃が届いてしまう。それを後悔するヒマすらなく、

 バシーーーーン!!!

 高らかに響く竹刀の音。
 そのまま意識が、一瞬暗転した。





「油断大敵です。目が見えないからと、私を侮りましたね」
 グラグラ回る意識の隅では、セイバーのお説教が始まっていた。
 おそらく気絶していたのは数秒のものだったのだろうが、いつのまに自分が床へ倒れ込んでいたのか覚えがない。
「まったく。いいですかシロウ。弱者に優しくするなとは言いません。弱者を守るのは騎士として私にも心得があることですから。
 しかしひとたび同じ戦場に立てば、女であろうと子供であろうと怪我人であろうと、敵に変わりはないのです。せめて戦う気力がなくなるまで、油断するべきではないでしょう」
 うぅ……面目ない。
 そう口にすることすら、頭がまだ混濁してできやしない。
 やはりセイバーは強かった。英雄の中の英雄、伝説に名を残したアーサー王は、目が見えない程度で俺ごときに負ける存在ではなかったのだ。
 しかし、うまい手加減ができない、というのは本当らしい。普段セイバーにこんな油断を見せたら、容赦なく数分間意識を刈り取られるっていうのに、今回はすぐ起きられた。
 ――と、ふいに彼女が表情を曇らせる。
「……シロウ? もしかして気を失っているのですか? 急所は間違いなく外したと思ったのですが……」
 こっちが見えないから、返事のない俺の状態がわからないのだろう。セイバーは不安そうに歩み寄ろうとする。
「ってて……大丈夫。さすがセイバーだな、手加減したって言ってたけど、それでも一瞬気を失ったよ」
 彼女に答えて身体を起こす。動いた気配を感じ取ったのか、彼女は安堵した顔で微笑した。
「そうですか。やはり多少ならば今のままでも戦えるようですね。今日一日、シロウを守れないのではと不安に思いましたが、これなら少しは役に立てそうです」
「って、ちょっと待った。今の手合わせはそのためだったのか?」
「はい。私の状態がどうであれ、敵や危険は待ってくれませんから」
 真面目な顔で言い切るセイバー。まったくこいつは、少しくらい肩の力を抜けっていうんだ。
 内心俺がためいきをついていると、離れたところで見ていたライダーがこっちへやってくる。
「なるほど。では次は実戦といきますか、セイバー?」
「ライダー、まさか貴女がやる気ですか?」
「ええ。今のセイバーがどれほどの力を出せるのか、私も興味があります」
 とか言って、いつもの釘剣を取り出すライダー……って、おい!
「待て、ライダー。今のセイバーは目が見えないんだぞ。いくらなんでも――」
「む。シロウ。貴方は私が目が見えない程度でライダーに遅れをとると思っているのですか」
「そうですよ士郎。それはセイバーに失礼というもの。目が見えないことがハンデだというならば、私もアイマスクをしましょう」
 俺の制止が面白くないのか唇をとがらせるセイバーと、セイバーに同意するライダー。いや、ライダーのにやにや笑いを見ると、あれはセイバーが強いと思っているんじゃなくて自分の望む展開に持っていこうとしてるだけだ。
 ライダーは胸元からひっぱり出した紫色のアイマスクを装着する。でもあれって。
「ライダー……。それ、いつもの魔眼の封印ブレーカー・ゴルゴーンじゃないか」
「そうですね。しかし士郎、これでも目隠しには代わりないのですよ」
 怪しい。だってライダー、それつけて普段通りに歩き回るし、聖杯戦争のときも普通に戦ってたじゃないか。
「さあ、どうしますセイバー。これで条件は五分です」
「ならば受けないわけにはいきませんね。騎士として、挑まれた勝負に背を向けるわけにはいかない」
「ふふ……。聖杯戦争のときの雪辱、ここで晴らさせてもらいましょう」
 高まりあう緊張感。だが、俺は気が気ではない。さすがに殺すようなことにはならないはずだが、どっちが加減を間違えてケガをしてしまうのもイヤだ。
 万が一のことがあれば、この身を盾としてでも――
「あらら、二人とも好戦的ね。まったく、頭の中に戦うことしかないのかしら、英霊って。
 まあいいけど。その間に、わたしはお兄ちゃんを一人占めしちゃうから」
 ふいに、柔らかい感触に飛びつかれる。
 見ればいつのまにかイリヤが、まだ情けなく床に尻をつけたままの俺の膝に座り込んでいた。
 だがその独り言のような声は、試合開始直前の方々にもしっかり届いたらしい。
「待ちなさいイリヤスフィール! 今のは聞き逃せない。シロウは貴女のものではありません!」
「ふーんだ、セイバーはライダーと試合でもしてればいいじゃない。今日はずっとセイバーがシロウを一人占めしてるんだから、今ぐらいはわたしがもらうわ」
「ですから、もらうとかあげるとか、シロウは物ではっっ……!」
 ずかずかとこっちへ歩いてきて、いつもと同じくイリヤを引き離そうとするセイバー。しかし今日はほんのわずか離れたところで立ち止まり、さっきまでの威勢がウソみたいにおずおずと、壊れ物を触るように手を差し伸べる。一瞬前との勢いの違いに、思わず面食らった。
 ――ああ、そうか。声で俺たちのだいたいの位置はわかっても、正確な位置がつかめないんだ。
 そういえばさっきの手合わせでは、セイバーにしては珍しく、突きが最初に来た。あれでこっちの位置をつかんでいたのかもしれない。しかし今、そうやって荒々しく位置を探ることができない以上、こんなふうに迷いながらも手を伸ばすことしかできないわけで。
 たよりなくさまよう手に、俺から手を伸ばして、自分の胸元におしつける。
「セイバー。俺はここだ」
「あ…………シロウ?」
「ここにいるから」
 離れていったりはしない。いつも彼女の傍にいる。
 見えないせいでセイバーがそれをわからないのなら、俺がわかるまで伝えるだけだ。
 だから。
 そんな不安そうな顔で、俺を捜さなくていい。
「………………はい」
 セイバーは小さく首肯して、小さく微笑わらった。
 軽く指にこめられた力で、彼女の気持ちを知る。
 俺へと向けられた瞳は、見えないため焦点が合っておらず、それが少しだけ寂しい。
 でもセイバーも、きっと俺以上に心細いはず。
 だったら、声で、感触で、もっともっと伝えなければ。負けず嫌いで強がりのセイバーが隠している、内心の不安が消え去るように。

 がらぴっしゃん。

 突然響いた大きな音で、二人とも我に返る。道場の扉が動いた音みたいだったけど。
 とっさに顔を上げてみれば、
「……あれ? イリヤとライダーは?」
「いないのですか? 二人ともいつのまに」
 気づいたときには、彼女たちの姿は煙のようにかき消えていた。










 んで。
 夕飯も終わり、今日も一日の終わりの時間が近づいてくる。
 なぜか今夜の晩飯は、みんな自分たちの家へ帰ってしまった。セイバーと二人きりで夕飯なんてずいぶん久しぶりだ。おかげであーんさせる恥ずかしさがずいぶん減ったけど。
 セイバーは食事も好きだが風呂も好きだ。彼女の生きていた頃は風呂なんて贅沢品だったろうから、なかなか入れなかったはず。そもそも日本式の、ゆっくり肩までつかる風呂はあっちにないんだっけ。
 日本文化がお気に召したイギリスの英雄には、今日も風呂を楽しんでもらおう。
 とはいっても、今の状況ではそう言っていられないかもしれないが。
「セイバー、やっぱり俺も一緒に入ろうか?」
 風呂場の前で、彼女にもう一度声をかける。
 セイバーは、自分一人で入れるからと、一回辞退しているのだが……。
「やっぱり不便だろ、目が見えないと。手にとったものが何かもわからないし」
「ですから心配いりません。それほど広い場所ではありませんし、自分の洗髪料などは容器の形でわかります」
「でも、シャンプーとリンスの区別とか……」
「つきます。シャンプーの容器の横には目盛りが記されていて、コンディショナーにはそれがない。今の私と同じく、目の見えない人にもわかるよう工夫されているのです」
 ……そうなんだ。知らなかった。
「けどなあ……」
 一緒に入って困ることはないんだから、できれば一緒に入らせてほしいというか。やっぱり心配だし。
 たしかに一人でもやってできないことはないだろうが、不便なのは変わらないのだ。
 俺が洗ってやれればセイバーだってゆっくり風呂を楽しめるだろうし。
 だっていうのに。
「駄目です。今日は私一人で入ります。シロウの手は借りません」
 召使いの存在など慣れているはずの王様は、なにがなんでも一人で入ると言い張るのだった。
 自立心が強いのは彼女のいいとこだけど、今日ぐらいちょっとは甘えてもいいというか、ここまで否定されるとこっちもあんまり面白くないというか。
「なんでだよ。何度も一緒に入ってるし、今更何がイヤなんだ?」
「っっ…………」
 セイバーは、一度大きく言葉に詰まり。
 なぜか、恥ずかしそうに顔を真っ赤に……って、なんで?
「…………から……」
「えっ?」


「――――今シロウに肌に触れられると、おかしな気分になってしまいそうなのです。
 視界を遮断した、いつもよりシロウの手を感じやすい状況で、自分を保っていられる自信がありませんからっっ……!」


 そう、叫び捨て。
 いきなり風呂場へダッシュをかけた。
 ゴチッッ!
 んで、閉まったままの風呂場のドアに思いっきり額をぶつける。
 そうかと思えば、すぐにドアノブを見つけて開き、中へと逃げ込んだ。
 バタン! ガチャチャ、カチッ!
 あ、鍵かけられた。
 ――そんな一連の流れを見つめながらも、俺の頭は沸騰寸前で、なんの対処も浮かんでこない。
「……反則だ……」
 天の岩戸みたいに閉ざされた風呂場のドアに背をつけて、ずるずると座り込む。
 彼女には見えてないとは知りながら、セイバーが出てくるまでにどうやって顔の熱をさますかを、とりあえず考えることにした。






 えっちな女の子は好きですか? ジブンは好きです。
 えっちな男の子は好きですか? ジブンは好きです。
 ゆえに、これもまたひとつのアイのカタチ。(てめーがヘンタイなだけだろ)
 久しぶりにお題の初心に立ち返り、起承転結とか話の主題とかキャラの維持とか難しいコト考えず、
欲望の赴くままシチュで遊んでみました。とても楽しかったです。




面白かったら心付けにぽちっと


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