キラキラと眩しい陽射しがそこらに万遍なくふりそそぐ、とても天気のいい日。
 閑静な山の中には、風のとおりすぎる音と鳥の声しか聞こえない。あまりの静けさに木漏れ日の音さえ聞こえてくるようだ。
 その日溜まりの中に、柳洞寺の本殿から二人の人影が現れた。
 尼僧のいない男ばかりの寺には珍しい、女性二人連れ。しかもどちらも絶世の美人であり、かつ外国人である。この寺を昔から知る者は目を丸くし、また最近の寺を知る者はなるほどと思う二人だった。
 背の高い方の女がもう一人の少女へと話しかける。
「今日もありがとう、セイバー」
「いえ、私もこれはこれで楽しいですから。……しかしキャスター、いつも思うのですが、貴女はあのようなドレスをどこから受注してくるのですか?」
「え、あ、ほほほ。それはほら、企業秘密ということで」
 明らかに私隠し事してますといった風情のキャスターを呆れた目で見、セイバーは山門へと足を運ぶ。
 じき春になると告げる陽射しは、そろそろあたたかさを増していた。
 いつもキャスターは山門のところまでセイバーを見送ってくれる。それが彼女なりの内職手伝いに対する感謝の表れなのか、それともあまり柳洞寺内で動き回られたくないという意味なのかは不明だが。
 セイバーは山門の前に着くと振り返った。
「見送りありがとうございます。私はこれで」
「そうね、じゃあこれ、受け取って」
「?」
 キャスターはポケットから小さな小箱を取り出す。開けてみると、中には絹張りの台座に小さな輪がおさめられていた。
 セイバーはそれを取り出し、様々な角度から眺める。どこから見ても、いや、最初見た時からわかっていたことだが、
「指輪、ですか?」
「ええ。いつもタダで手伝ってもらっているのは心苦しいから。たまには貴女にも、労働に見合った対価を渡さないとね」
 それはまぎれもなくキャスターの好意だった。しかしそうとわかっていながら、セイバーは顔をしかめる。
「……キャスター。しかしこれは……」
「別に気に入らなかったらどうしたっていいわ。捨てたって誰かにあげたって私に返しに来たっていいの。
 ただ、こちらから何も出さないのは等価交換に反するのよ。私は貴女に代価を渡した。それを貴女がどう扱おうと、それは貴女の自由よ」
「ふむ…………」
 そういえばと、士郎の言っていたことを思い出す。キャスターは生粋の魔術師で、遠坂凛が軟派に見えてしまうくらいの昔気質な魔術師なのだと。
 魔術師の基本は等価交換。セイバーの主は第二の師の鉄則に従い、おかげで日々えらくタイヘンな目に遭っているのだ。
 おそらくキャスターとしては、彼女に内職を手伝ってもらうというのは借りなのだろう。そしてそれが溜まっていく一方というのに耐えられないのだ。
「わかりました。それで貴女が納得するのなら」
「そうしてちょうだい。だいたいねえ、貴女ももっとおシャレに気を使うべきなのよ。せっかく素材がいいのに……。
 フリルやレースでもっと飾ろうとは思わないの?」
「思いません。我が身は選定の剣を抜いた時から、剣として生きると誓った身ですから」
「ふう。これじゃ坊やも苦労するわね……。
 いいこと、女の子だったら、もっと可愛い物が好きになってしかるべきよ。ああ勿体ない、私にこんな娘がいたら盛大に飾り立ててあげるのに」
 大きなためいきをつくキャスターを見て、セイバーの眉間にも若干のシワがよる。
 セイバーは別に可愛いものが嫌いなわけではない。獅子の子供は愛らしいと思うし、ぬいぐるみにも興味がある。士郎や凛などは、セイバーは可愛いものが好きなんだなと笑いながら言うのだ。その目がどこか幼い子供を見る目つきのように思えるのはあまりいい気分ではないが。
 しかしキャスターの言うように、レースやフリルに愛らしさを感じることはあまりない。はっきり聞いたわけではないが、おそらくキャスターとてふわふわもこもこの動物にセイバーが感じるような愛らしさを抱くことはないだろう。
 これは単に好みの問題なのである。同じ可愛いもの好きの女の子でも、人形好きな子とぬいぐるみ好きな子の間では、決して越えられない深くて暗い川があるのだ。
 だがそれを今ここで論議して、キャスターにケンカを売る必要はない。
「……とりあえず私はこれで」
「ええ。また次の機会に」
 キャスターもあっさりセイバーを解放した。どうやらあれは言っても無駄と分かっていたけど、という趣旨だったらしい。
 軽く手を振るキャスターに一度頭を下げ、ついで物陰で軽く手をあげるアサシンにも一礼し、セイバーは柳洞寺を後にした。





「むぅ…………」
 何度目かのためいきにもならぬ、うなり声がもれる。
 他に誰もいないセイバーの自室で、それは静かに散っていった。
 きっちり正座した彼女の目の前には、先ほどキャスターにもらった指輪。
 金色の台座に大きな緑色の石がはめ込まれたそれは、陽光にかざすとキラキラと美しく光を反射する。緑の石だけでなくその周辺に配置された透明な宝石も手を抜いていない。とても上品なデザインで、カットも腕のいい職人がしたものと思われる。下世話な話をすれば見るからに高そうだった。おそらく凛が見れば目を輝かせて欲しがったに違いない。
 セイバーとて王としてかなりの贅沢品に触れてきた。だからこそこの品物の質の高さは一目でわかる。彼女自身が好むと好まざるとにかかわらず、王という威厳の求められる立場にある者は、嫌でも着飾る必要があったのだ。
 そして今の彼女は、自分がこのような物で着飾る必然性がないことも知っている。
「……………………」
 王の誇りは今も胸に。されど王の位は今や彼女の元にはない。
 威厳を見せる必要のある民も敵も、ここには居ないのだ。
 もう一度、指輪を手に取って様々な角度から検証する。
 たしかに美しい。だがそれだけ。身につけたい、飾り立てたいという気持ちは起こらない。
 なにより指輪、というのが困りものだ。これが他の物であればまだ―――そう、彼とのデートの時にでも――――――――
「…………………………………………」
 なんとなく『その時』に、いそいそと着飾る自身を想像してしまい、セイバーは赤面する。
 コホン、とひとつ咳払いをして思考を元に戻す。そう、今はこの指輪のことだ。
 キャスターには悪いが、これはやはり―――
「セイバー? いるか?」
「シロウですか? はい、どうぞ」
 突然部屋の外からかかった声に、つい了解の返事をする。一瞬本当に招き入れて良かったかと思ったが、別に困るようなものはない。
 士郎は彼女の返事どおり、スラリと障子を開けて、
「――――――――――――」
 そこで固まった。
 思いがけない彼の反応に、逆にセイバーが驚く。
「シロウ? どうしたのです、入らないのですか?」
「へ!? あ、ああ……それじゃ…………」
 彼女の言葉に硬直がとけたのか、士郎はわずかに落ち着かない様子で部屋に入ってきた。その彼の視線が、部屋に入って彼女の前に座るまで、一個所で固まったままであることにセイバーは気づく。
 視線の先にあるものを、問われる前に手に取った。
「……これですか?」
 指輪の中の緑の石が、動かされたことで陽光を受け入れ、光を放つ。
「あ、うん……。…………。
 ど、どうしたんだ、それ?」
「キャスターから渡されたのです。普段の労働の代価として、だそうで」
「そ、そっか。キャスターならなんか納得だな、うん。それっくらいの金は持ってそうだし」
 納得した、と口では言いつつ、彼の顔色はとても腑に落ちたというそれではない。
 どこか安堵した表情をしてるくせに、やはりどこかそわそわとした挙動が崩れないのだ。
 彼の不審な態度は気になったが、問い詰めるより先にこちらの悩みも聞いてほしかった。
「まったくキャスターも……。私に、よりにもよって指輪など渡してどうしようというのか」
「? なにか問題でも、その……あるのか?」
「あります。
 シロウ、忘れたとは言わせません。私は騎士であり、剣士なのです。
 この手は剣を握る手。それが第一の用途なのです」
「……………………」
「手を飾る事が悪いとは言いません。けれど指輪は若干とはいえ、指の動きが制限される。
 指輪に何かをぶつければ、その時は衝撃で一瞬といえど動きが止まるでしょう。
 まして指輪をしたまま篭手は嵌められない。つまり外さねばならないということです。そのような事を常に気にするようになっては困ります」
「……………………」
「王の時代も装飾品に身を包むことはありましたが、指輪だけはしませんでした。戦の場でなくとも、いつでも剣を抜けるように。
 ですから私にとって指輪は不要なものでしかなく――――」
「………………………………」
 ―――そこで。
 ようやく彼女も気が付いた。
「……シロウ? なぜ先程から口を開かないのですか?」
「うえっっ!? あ、や、な!?」
 おかしなことに、やたらと慌てだす。その姿を見て、胸にイヤなざわめきの波が立った。
 ――――――今すぐそのおしゃべりを止めて、彼の動揺の理由を問いただせ。
 彼女が何度も世話になった、何度も彼女の命を救ってきた”直感”が、ふいに騒ぎ出す。
 心臓が高鳴る。ドキドキとやかましい。
「…………シロウ。先程からどうも様子がおかしいですね」
 どきん どきん どきん どきん
「え? い、いや、そんなコトはナイデスヨ?」
 どきん どきん どきん どきん
「では、その後ろに回したままの手を見せてください。なぜ手が背後から出てこないのです」
 どきん どきん どきん どきん
「あ…………いや、それは…………」
 士郎は急に居心地悪そうな顔で、うなだれてしまった。
 いつもは外れることなど考えもしない直感が、今に限っては外れて欲しいと切に願う。
 だって。もしこの直感が当たっているとすれば。
 自分がさっきまで彼に知らずぶつけてきた言葉の数々は――――
「………………シロウ」
「う……わかった」
 ――――どきん――――
「これを、持ってた……んだけど」
 そう言って、士郎の右手が前に回る。
 その手の中にあったのは、彼女の目の前にあるものとよく似た小箱。
 この時代の装飾品には詳しくないけれど、これはやはり―――
「シロウ…………」
「うん。中身、指輪なんだ」
 震えの止まらない指で、彼の手にある小箱を開ける。
 中には台にきちんと納められた、青い石のついた小さな指輪があった。
 シンプルなデザインの指輪は、キャスターのよこしたものに比べれば質としてはかなり落ちる。値段で言えばマルがひとつ、へたをすればふたつくらい違うだろう。それでもこれが彼の精一杯であることが、セイバーには見て取れた。
 そしてこんなものを、隠しながら彼女の元へ持ってきた意図も。
 どんなに鈍い人間だって、ここまでくれば彼のしたかったことがわかる。
「……その。バレンタイン、セイバーがチョコくれたろ? お返しに何がいいかなって思って、色々考えたんだけど……こんなのしか浮かばなかった」
 違う。こんなの、なんて言わないで欲しい。
 セイバーが弱々しく首を横に振るのを見て何を思ったのか、士郎の顔はますます下を向いた。
「ははは、馬鹿だな。必死になって考えて、これっくらいしか浮かばなかったクセに、セイバーがこれを欲しいかなんてとこまで全然頭が回んなかった。
 ……ごめんな、困らせて。これは返してくるから――――」
 言い終わる前に、士郎は手の中の小箱を閉じて、立ち上がろうとする。
 が、彼が背中を向けようとした時、セイバーは必死に彼の服の裾を握り締めた。
「ま、待ってくださいシロウ――!」
「え…………セイバー?」
 ふるふる、ふるふると首を横に振り続ける。
 行かないで欲しい。まだ自分は大切なことを伝えていない。
 さっき言ったことは嘘ではない。それは誓って本当だ。だが。
「――――私は騎士です。ですからたしかに、指輪を身につけることはできない。できませんがっ」
「………………う、うん」
「その…………私は、それがいい。シロウにいただけるのであれば、それが」
「い、いいのか? ほら、交換することだってまだできると思うし。アクセサリーならイヤリングとかネックレスとか、他にも………」
「いいえ。―――それが欲しいのです」
 彼が一生懸命彼女のためを思って選んでくれたものが。
 想いが大きすぎてこれ以上口から言葉が出てこない。代わりにしがみついて、じっと見つめる。
 士郎はほんの少しの間、彼女の瞳を見返していたが。
「…………そっか。セイバーがそう言ってくれるんなら。
 貰ってくれるか? この指輪」
「はい。ありがとうシロウ」
 やっと想いが伝わったことを確信して、セイバーは笑顔を浮かべた。






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「それで? その指輪、どうしたの?」
 数日前のホワイトデーの話を聞いて、パリンとクッキーを噛み砕きつつ、遠坂凛が先をうながす。
 問われたセイバーは胸元を探り、
「やはり騎士が指輪をはめるわけにはいかないのは一緒です。
 ですから、こう―――」
 服の中にしまっていたものをひっぱり出す。
 簡素な紐をとおしてペンダントのようにされた指輪が、彼女の手の中にあった。
「ふーん、学校に装飾品持っていけない女子中高生がやってるわよね、それ。
 一度くらいは指にはめてみたことないの?」
「ええ。そうしたかったのですが、シロウにああ言った手前、少し気後れしまして」
「へー。……ってことは、まだサイズが合うかどうかも確認してないわけね?
 ………………………………」
 話の途中で。
 凛の顔がにんまりと、笑みの形を作り上げる。
 その妙な迫力になんとなく身を引きながら、セイバーはそれでも聞いてみた。
「……その笑顔はなんですか、凛」
「べっつにー。あ、そうそうセイバー。左手の薬指にはめる指輪って、どんな意味があるか知ってる?」
 ぐっ、と詰まった。それは彼女とて知っている。
 以前ギルガメッシュが『指輪を贈るので左手の薬指のサイズを教えろ』としつこく迫ってきたことがあったのだ。むろんなぜその指にこだわるのかの理由を聞いた瞬間、聖剣を引き抜いたが。
「…………知っています。異性から贈られた場合、婚約、あるいは既婚の印という意味があるのでしょう」
 実はそれもあって指輪を試すことができなかったのだ。左手の薬指に合わなかったら、せっかくの彼からの贈り物なのに勝手に期待外れを感じて、ガッカリしてしまいかねなくて嫌だったし、もしサイズが合ったら彼の顔をまともに見られる自信がない。
「うん、そうよ。よく知ってたわね。
 じゃあ、なんでそれが左手の薬指か知ってる?」
「? それはさすがに知りません。意味があるのですか」
「ええ。左手の薬指は、心臓に繋がっている指だと昔の人は考えたの。心臓、つまり心があるところね。
 大切な愛の象徴だから、心に一番近い指にはめようってわけ」
 ほう、とセイバーはうなずいた。なるほどそんな意味があったとは。
「でもね、セイバー」
 言ったとたん、凛の笑みはますます深くなる。それはもう満面の笑みに。

「直接胸元に入れる方が、はるかに心臓には近いと思わない?」

「――――――――!!」






 お題その50、「聖戦、その後のこと。」。
 慣れてしまえばどうということもないのかもですが、指輪って慣れるまでけっこージャマです。特に石つき。マリッジリングがシンプルなのは実用的な意味もあるのであった。もしかしてセイバーって、ゴスロリみたいなレースフリルは苦手だけど、モヘアみたいなふわふわもこもこの服や髪留めなら、喜んで身につけてくれますかね?(笑)
 最後になりましたが、長い間おつきあいいただきありがとうございました。相変わらず通常のお話では色んな事が起こってますが、その合間合間ではこんな日常を、うちのセイバーは過ごしてます。つまりはLoveなんです(笑)




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