昼なお暗い森の中。冬ということで木の葉が落ち、いくぶん視界は良くなっているが、いかんせんこんなにたくさんの木が生えているのでは、枝でずいぶん見通しが悪くなってしまっている。
 それでもこの森であまり道に迷うことはない。目的地までで寄り道ができるのはせいぜい一個所ぐらいだし、ちゃんと道を外れないようにしてれば済む話だ。おかしなところに足を踏み入れて迷ってしまったら二度と出られないので、探検などできないという意味もあるが。
 アインツベルンの森は、主であるアインツベルンの人達以外は認めぬという頑なさで、今日も遭難者を待っている。
 俺達は主ではないが行き来は許されているという、希有な人間達のうちの二人だった。
「しかし少々意外でした。イリヤスフィールがあれだけ喜ぶとは」
「うん。ああ喜ばれると、来て良かったって思うよな」
 深い冬の森の中をセイバーと歩く。
 昨日の夜にほんの気紛れで、イリヤの城に遊びに行こうかという話をしたら、イリヤは驚いた後にすごく嬉しそうな顔でOKサインを出してくれた。
 訊けば、アインツベルン城はあんな立地条件なので、客どころか訪問販売、それどころか通りすがりの人が来たこともないという。
 今日は朝から手土産持参でセイバーと遊びに来たのだが、イリヤは小さいながらも立派なアインツベルンの女当主として、一部の隙なく俺たちをもてなしてくれたのだ。
「ほんとびっくりした。いつも家にいるイリヤは普通のイリヤなのに、今日のイリヤには育ちの違いをはっきり思い知らされた気がする」
「ええ。貴族というのは伊達ではない。彼女はすでに一人前の淑女なのですね」
 セラが普段口やかましくイリヤと俺たちの線引きをしたがるのもわかるな。たしかに別次元の人って感じがした。
 イリヤはあんな外見をしているが、実際は俺より年上だという。本当かどうかは知らないけど今日みたいなのを見せられた後なら、なんとなく納得だ。
 ――――とはいえ。
「そうわかっていても、なんだかイリヤはやっぱりイリヤなんだよな」
 なんていうか、俺の中では。
 どこまでいっても俺を兄と慕って、子供らしく突撃してくる印象だ。
 呟くと、それを聞いたセイバーがなぜかためいきをもらす。
「シロウ。いつまでもそれではイリヤスフィールが怒りますよ。
 あるいは、今はまだ子供扱いでも良いのかもしれません。ですが一人前になった人間をいつまでも半人前扱いでは、本人にとってはなはだ不本意です」
「…………む」
 言われてみればその通りだ。俺だってもっと実力が上がって、そこそこの自信がついてきた時、まだセイバーや遠坂が今の俺と同じ扱いだったら少し不満だろう。
「うーん…………」
 ただ、一度染み付いたイメージというものがなかなか抜けないのも事実なわけで。
 イリヤは俺より年上であり、セイバーは騎士王であり、遠坂と桜は魔術師だ。4人とも俺とは比べ物にならないほどレベルの高い技術を持っている実力者でもある。頭ではそうわかっていても、やっぱり4人は俺と同い年、あるいは年下の女の子という印象が拭えない。
 子供扱い、あるいは女の子扱いするなと、それでたまにイリヤやセイバーには怒られるわけなんだが―――

 ざく。

「お」
「?」
 足元が一瞬、わずかばかり沈み込む感覚に、意識を引き戻された。
 と同時に固い何かを踏み潰す音がする。
 いや、そんな回りくどい表現をしなくても、この感覚は知っている。子供の頃はよく遊んだもんだし。
「やっぱり霜柱だ」
 足を上げてみると、靴の形に地面がへこんでいる。土のあちこちが白く見えるのは踏み砕かれた氷の柱だ。
 考え事をしてて、いつのまにか一歩いつもの道を外れていたらしい。
「霜柱……ああ、土から出てくる氷の棘ですね」
「トゲって……まあそんなようなもんだけど」
 そういや英語ではアイスニードルとか言うんだっけか。
 自分でつけた足跡の横にもう一度足を踏み下ろしてみる。再びざく、という音がして足が沈んだ。
 続けてもう三回。そのたびに音がして、白と茶色のまだらの足跡が森に刻まれてゆく。
「うわ、なんか懐かしいな」
 こんなことするのは小学生以来だ。最近は舗装された道ばかり歩くから、意図的に土のあるところに足を踏み出さないと霜柱なんて気づかない。

 ざく ざく ざく ざく ざく

 いつもの獣道に立ち戻らず、横の霜柱の群生しているあたりを数歩踏み出す。
 そのたびに足には氷を砕く独特の感覚が伝わってきた。
 繰り返してるうちに、だんだん楽しくなってくる。子供がはしゃいで遊ぶのも頷けるな。

 ざく ざく ざく ざく ざく

 足がリズムをつけて交互に動く。なんだか楽器を演奏してる気分だ。
 後ろを向けば、盛り上がった土に点々と残るへこんだ白い足跡。
 うん、これはこれでなかなか面白い。
「藤ねえやイリヤも好きそうだよな、こういうの」
 そういえば雪が降った時、庭に足跡をつけまくっていたか、あの二人は。
「そんなに面白いのですか?」
 並行して隣を歩くセイバーが不思議そうに聞いてくる。まあちょっと子供っぽいからな、普段はあんまりやらないし。
「やってみると意外に。セイバーもやってみる?」
「私ですか? ――――――――」
 セイバーは地面を見て、しばらく黙り込む。そんなに考え込むことだろうか。
 地面のあちこちに数カ所視線をやり、俺のつけた足跡を見、そしておもむろに口を開く。
「……いえ。私はやめておきます。
 なんというか――その地面のふくらみ方が、春の若芽に見えてしまうものですから」
 ぴたり、と。
 思わず足が止まる。
「……へ? だって……」
 これは霜柱で、春の草の芽なはずがない。
 れっきとした氷である霜柱ができるような条件下では、寒すぎてまだ植物の芽生えはないはずだ。
 疑問を浮かべた俺の顔を見てセイバーは口をとがらせる。
「わ、わかっています。その下に植物の芽などないことは。
 ただ、この土の形がそう見えるから踏みたくないだけです。そんなに不思議がることはないではありませんか」
 恥ずかしそうに頬を染めて拗ねるセイバーの顔を見て、
「――――――――プッ」
 つい、吹き出してしまった。
「シロウ!」
 がーっと怒るセイバー。ああもう。
「うん。セイバー、可愛いな」
「なっ…………!」
 今度はわなわなと震え出す。なんだかどうにも耐えられず、笑いを必死にこらえた。


 何かあると王だとか騎士だとか自称してるくせに、普段の彼女はこんなにも優しい。
 そう見える、というだけで、草の芽のようなものも踏めない、優しい女の子なんだ。
 セイバーには悪いけど、これじゃ女の子扱いはやめろなんて言われたって聞けるわけがない。
 こんなに可愛い女の子を女の子として見るな、なんて、到底無理ってもんじゃないか。


 声を出さず、なんとか笑うのを肩だけに留める。それでもなかなかおさまらなくて、ついセイバーの頭をわしわしと撫でた。
「いやもう本当に可愛い」
「シロウ! 子供扱いはやめていただきたい。私は笑われるほどおかしな事を言いましたか!?」
「別に子供扱いってわけじゃないんだけどさ。……ぷっ、やっぱり……」
「説得力がありませんよシロウ!!」
 どんどん怒りがエスカレートするセイバーに、ますますおかしさがこみ上げる。
 我慢しきれず声をもらして笑いながら。
 後でどんなお詫びをして機嫌を直してもらおうか、とこっそり考えていた。






 お題その48、「霜柱のある小道」。
 わかってます。正直、導入部に無理ありすぎです。でも冬木で二人そろって歩きそうな場所で霜柱のありそーなとこといったら、この森と幽霊洋館ぐらいしかなかったンだっ……!
 ホロゥでは簡単にホイホイとアインツベルン城まで行ってましたが。あそこ、町から車で一時間、森の中は三時間かかるんですよね……?……きっと便が悪いから何かの魔術を使って一時間ぐらいで行けるようにしたとマイ妄想。そうに違いない。




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