ゴーーーーン…………

 厳かな鐘の音が、冷えた空気と共に体の芯まで染み渡る気がする。
 長い長い石段を、セイバーと二人で昇る。まるでソラへ向かっているようだ。
 いつもなら、人っ子一人いないはずの、夜の柳洞寺。しかし年に二度だけこの石段には例外が訪れる。
 ひとつは町の真ん中を流れる未遠みおん川の龍神を奉る夏祭り。
 そしてもうひとつは。
「こんなに人が多い柳洞寺は初めて見ました。何やらいつもとは風景まで違って見えます」
 少し困惑ぎみに、わずかながら興奮ぎみに言うセイバー。そういえば祭りの時はこっちへは来なかったんだっけ。
「今夜は大晦日だからな。全国どこへ行っても、この規模の寺はこんなもんだよ」
「むむ……クリスマスの時も思いましたが、この国の宗教は不思議ですね。
 様々な宗教が入り交じって喧嘩もせず、よほど各宗教が大切にされているのかと思いきや、実際にはシロウも凛も桜も常日頃はあまり神に関わらず生きている。そうかと思えば何か特定の日にはこうして大勢の人が集まるとは――――」
 セイバーは眉をよせて考え込んでいる。現代日本人の俺には苦笑するしかない。
 まあ日本は長年こんな感じだったらしい――なにせ千年以上前から、仏教の寺と神道の神社は混同されてる事が多かったという――から、別に不思議なことじゃないんだけど。まずこの柳洞寺からして、仏教なのに龍神を奉っている。
 とはいえ、よその国の人間の目には奇異に映ることも歴とした事実だ。
 元が多神教だったからか、日本人は何の神様でも平気で受け入れる。新興宗教には抵抗のある人でも、古くからの宗教に偏見を持つ人は少ない。なにせ一神教のキリスト教でも400年前に平気で受け入れた民族だ。七福神の神様は、神道、仏教、ヒンドゥー教から中国の仙人までとバリエーション豊かな顔ぶれになっており、それをまとめて奉ることに何の疑問も持たない習慣である。
「まあ日本人は宗教というより、祭りが好きなんだよ。だからイベントはどんな宗教でもいい。ようは名目があればなんでもってことで」
「むぅ。信仰とはかなり違う感じがしますが―――まあ良いでしょう。郷に入れば郷に従えとも言いますし」
 セイバーは納得しがたい顔をしていたが、一応理解してくれた。
 うん、それでいい。日本の祭りは楽しくて迷惑をかけなければなんでもアリなのだ。
 そんな会話を交わしてる間にも、俺たちと同じく除夜の鐘を聞きに来た人たちが石段を上がっていく。普段ならば真っ暗な石段だが、この日だけは足元が危なくないようにと、小さな電灯が腰の高さにいくつもついていた。
 どこか幻想的な柔らかいオレンジ色の光。談笑をかわしながら笑顔で石段をのぼる大勢の人々。
 ―――セイバーと二人で石段を昇る。それはソラへ、地上を離れ先の見えない未来ソラへ向かう錯覚を思わせる。
 けれどこれだけ様変わりした柳洞寺の石段だと、そういう感傷はほとんどなくなってしまう。
 彼女はどうなのだろう、とセイバーをチラリと横目で見ると。
「――――――」
 目があったセイバーは、何も言わず、にっこりと微笑んでくれた。
 同じ事を思っていたのかはわからない。むしろ全然違うことを考えている可能性の方が高い。
 でも、セイバーは今ここで笑っている。
 それだけであの戦いとは全く別物なのだと、しっかり噛み締めることができた。
「……行こう、セイバー。早く行かないと年越しソバがなくなるぞ」
「む。それはいけません。急ぎましょうシロウ」
 セイバーは表情をひきしめ、石段を登ってゆく。
 いつかと同じ凛とした表情。しかしやはりいつかと違い、その横顔は和んでいるものだった。

 ゴーーーーン…………

 厳かな鐘の音。
 身を震わせる響きが、どこか温かく感じるのは、きっと今の気持ちのせいだろう。





「そなたらも来たのか、セイバーとそのマスターよ」
 山門のところでふいにどこかから声がかかる。
 誰だ、と一瞬思ったが、考えてみれば簡単なことだ。この場所、そして俺をセイバーのマスターと呼ぶ人物。なによりその時代がかった口調と、本人と同じく涼しげな声。
「アサシンか。悪いけどお邪魔させてもらうぞ」
「ああ、勝手に通るがよろしかろう。今宵は宴の日なのだから、こんな日に門番などは無粋なだけの存在よ」
 アサシンこと佐々木小次郎は、やっぱり姿も見せず話を続ける。……客が多いからあの武士姿では出てきにくいんだろうか。
 セイバーが小首をかしげながら話に加わってくる。
「アサシン。貴方はたしか、令呪の縛りでこの門を任されていると聞きます。特に夜は加減ができないほどだ、と。
 それなのにこんな大勢の人が門を通っていて平気なのですか?」
 セイバーの言葉に思わず身体がこわばった。
 そうだ。たしかいつだったか、小次郎自身からそういう話を聞いた。
 今、誰かが斬られたという騒ぎになっていない以上は大丈夫だと思うが――――
「うむ、それなのだが。実は令呪の縛りを弱体化させるため、あの女狐、私への魔力供給を極端に絞っている。おかげで実体化もできん」
 何でもなさげに、けれど声のどこかに不満げな響きをのせ、小次郎は言った。
 っていうか、それ、案外大事じゃないんだろうか?
「だ、大丈夫なのか?」
「なに、大したことはない。多少目が見えづらくあり息苦しくあるだけだ。実はこうして声を出すのもかなり辛いが、そうでもせねばこのまま昇天してしまいそうでな」
「全然大丈夫じゃないじゃないか!」
「まあそのくらいせねば令呪の縛りは揺るがんということだ。仕方あるまい、私とて不本意だが、参詣に来た客を片っ端から斬り伏せるわけにもゆかん。我慢するしか方法はないということだ」
 かなりの大事を他人事のように涼しげに語る小次郎。うーん、これも究極のやせ我慢ということになるのだろうか? なんとなくカッコイイ。
 そんな美しい小次郎の言葉に、セイバーは感心してうんうんと頷いた。
「なるほど、皆のために己が耐えてみせる精神はとても立派です。てっきりいつぞやのように、貴方のマスター権を山門から他のものに移せば良いと思っていましたが、そううまくはいかないようですね」
「「――――――――――――」」
「己を犠牲にして人々の幸福を見守る。私にも覚えがあります…………どうしましたシロウ、おかしな顔をして」
「「――――――――――――」」
 ……小次郎の顔は、俺からでは見えないのだが。
 なぜか今の彼の沈黙は、俺と同じものであると確信した。
「…………なあ。もしかして…………」
「ははは。ははははは。はっはっはっはっは」
 乾いた声で小次郎は笑った。そうか、やっぱり言われるまでこの方法に辿り着かなかったのか、俺みたいに。
 こんな痛々しい小次郎を見るのは初めてで、つい声が出る。
「……キャスターに言って、今からでもそうしてもらおうか?」
「構わずとも良い。どうせあの女のことだ、こちらの方が魔力の消費がなくて良いなどと言うであろう。おまえたちが無駄足を踏むことはない。
 だが、どうせなら話につきあってもらおうか。そちらは二人そろって、いや、いつものあの館を考えれば二人だけで参詣に来たのか?」
「ああ。セイバーに日本の大晦日と、あと柳洞寺の年越しソバを体験させてやろうと思って」
 本当はみんなで来る案もあったのだが、いつものメンバーで来れば必ず騒がしくなってしまう。正月が騒がしいからこそ年末は静かに迎えたいもので、皆で来るというのはあまり得策ではなかった。
 小次郎はそんな説明を聞くと、楽しそうに小さく笑う。
「ほう。なるほど、逢い引きというわけか?」
「あ、あいびき…………」
 …………せめてデートと言って欲しい。小次郎の生前にそういった単語があったかどうかは謎だが、逢い引きとデートではやっぱり意味合いが少し違うと思う。
 セイバーも隣で頬を赤くしていた。きっと俺の頬も同じようになっているのだろう。
「いや、愉快愉快。折角だ、二人そろってキャスターの寝所にでも顔を見せて行くがいい。あの女狐、今宵は宗一郎が寺の仕事にかり出されて寂しがっておったからな。良い退屈しのぎとなるだろう」
「――――慎んでお断りさせてもらう」
 一人寂しく大晦日を過ごしているキャスターのところに、俺とセイバーがセットで顔を出せば、間違いなくキャスターの癇に障る。一年の締めくくりを神代に生きた大魔術師の魔術で火だるまになんてされたくない。
「それは残念。ではそろそろ行くが良い。なんでも寺の坊主が言っていたが、蕎麦は定数があるらしくてな。毎回、年が明ける頃にはなくなっているのが普通らしい」
「うわ、それほんとか? まずいな、今からでも残ってるかどうか」
「な……!」
 セイバーの体がそわそわし始める。もちろん参拝が目的で来たんだけど、年越しソバを楽しみにしていたのも本当だ。
 小次郎の声はますます楽しそうなものになった。
「なに、蕎麦を逃し鬱憤が溜まったのならば、またここに来るといい。なんとでも言い分をつけてキャスターに魔力を供給させ、あの日つかなかった決着をつけるのに協力しよう」
「……アサシン。まさかセイバーを挑発するために俺たちを足止めしたのか?」
「そこまで無粋ではない。単に退屈しのぎがしたかっただけの話であろう。
 その証拠に、急げばまだ蕎麦には間に合うはずだ。寄り道などせずまっすぐに、本堂の脇へと出るが良い。そこで坊主どもが蕎麦を配っている」
「そうか。じゃあ急ごうセイバー」
「はい。では失礼します、アサシン」
「うむ。セイバー、あの日の決着、人目のない夜にいつかつけようぞ」

 ゴーーーーン…………

 小次郎の声を背に受けて、何度目かの鐘の音に迎えられながら、俺たちはあの日通れなかった門をくぐる。
 境内に入ると中は人でいっぱいだった。単に人混みなだけじゃない、あちこちに人のかたまりができている。おそらくお札を売っていたり、絵馬をかける場所を臨時で作っているのだろう。
 たしかにこれはパッと見ただけじゃ、どこでソバを配っているかわからない。小次郎に聞いたとおり、本堂脇の人ごみの方へ行ってみる。
 目をこらして見るとそこから離れる人々の手には、何かの器らしきものがあることが見てとれた。
「うん、たぶんあそこだ。間に合ったみたいだな、まだやってるぞ」
「それは良かった。せっかくの振る舞いを逃してしまうのは少し惜しいですから」
 二人で安堵の息を吐く。とはいえ一度急いた気持ちはなかなかおさまらない。少しだけ歩調を速め、列の一番後ろに並んだ。
 人数はおよそ十人強。これならよっぽど運が悪くないかぎり大丈夫だろう。
「シロウの言っていた年越し蕎麦というものを、ようやく食べられますね」
「ああ。でも期待しすぎちゃだめだぞ。それほど特別なものじゃ――――」
「おや。衛宮にセイバーさんではないか。参詣かな?」
 突然列の前の方から声がかかり、俺達はそちらを振り向いた。
 そこには見習い僧侶の服を着た一成がソバを片手に立っている。
「よ、一成。セイバーに年越しソバを貰いに来たぞ」
「うむ、一年の締めくくりを伝統の行事で過ごすとは、相変わらず感心感心」
 一成は重々しくうんうんと頷く。と、一成の隣にいた壮年のお坊さんが口を開いた。
「一成くん。そろそろ交替してもいいぞ。友達なんだろ?」
「うむ……その通りですが。しかし俺は今…………」
「手伝いなら心配いらないよ。托竹でも呼んできてもらえれば。休憩ついでに友達と年越しソバを食べてくるといい」
 托竹とは柳洞寺のお坊さんの一人だ。俺たちより一つ二つ年上の人だけど、柳洞寺では年若の部類に入る。
 一成は、むう、と少し考えたが、
「ではお言葉に甘えさせてもらいます。衛宮、少し待っていてくれ。どうせならば裏でいただこう」
 三人分のソバを手に、持ち場を離れて案内してくれたのだった。





 ずるるるっ。
 寒い真冬の夜の空気で冷えた体が、ソバの熱で中からあったまるのは、なかなかに心地良い。
 生き返るっていうのはこういう事を言うんだなあ。死んだことはない……こともない気がするけど。
「ごちそうさまでした」
 隣ではセイバーがソバを完食している。それほど量があるわけではないので俺たちは5分もせずに器を空にした。
 深々と頭を下げたセイバーに、一成もわざわざ器を置いて応対する。
「おそまつでした。なんの面白みもないかけそばですみません、なにせ寺なのであまり贅沢はできぬのです」
「いえ、しっかりとだしの染み渡った、奥深い味でした。何の具もないというのに全く飽きさせない。真に蕎麦の味を堪能した気がします」
 おせじではなくセイバーの顔には満足そうな表情が浮かんでいる。彼女の主張は俺も認めるところだ。いつも一成の持ってくる弁当で知っているが、柳洞寺の料理は質素ながらも素材そのものの味を極限まで引き出す技術に長けている。一成の父親である住職の趣味で、下働きの小坊主は贅沢をさせてもらえないというから、自然と身についたワザなのだろう。
「それに大切なのは大晦日に蕎麦を食すという行為です。シロウの作ってくれる蕎麦にはいつもおいしい具材がのっていますが、それよりも今日だけはこちらの方が『蕎麦を食べた』という実感を与えてくれます」
「……? セイバー、柳洞寺のソバが食べたかっただけじゃなかったのか?」
 そのつもりで柳洞寺まで連れてきたんだけど。
 俺がそう言うと、セイバーは呆れたようにためいきをついた。
「シロウ。貴方は私のことをなんだと思っているのですか。
 たしかに柳洞寺の味にも興味はありましたが、私はこの国の『大晦日』というものを体験してみたかったのです。私がこの国で年の終わりと始まりを迎えるのは初めてですから。
 ならば、きちんと決まり事にのっとった儀式を行うべきでしょう」
「ではセイバーさんは参拝も済ませられましたか? できれば除夜の鐘が鳴り終え、新年になる前に一度詣でるのが望ましい」
 一成が横からつけたしてくる。最近の若者の伝統離れを嘆くタイプの一成にとって、セイバーのように格式を重んじる態度は好ましいらしい。
「いいえ、まだです。ありがとう、良い事を教えてもらいました。なるほど、この鐘が鳴り終えるのは今年のうちなのですね」
「ええ。除夜の鐘が鳴るのは百八つ。人間の煩悩の数だと申します。この鐘を聞いて煩悩を追いだし、清らかな人間となり新たな年を迎えるという意味を持つのです」
「なんと。それではこの鐘は初めから聞いていないと煩悩を追いだしきれないということですか」
 むむ、と眉をしかめるセイバー。相変わらず生真面目だ。
「そんなことないよ。セイバーだったら百八つも煩悩持ってないだろ。どこかの誰かじゃあるまいし、もっと欲深くなってもいいくらいなんだから」
「それを言うなら衛宮、お前もだ。もう少し己の損得を考えてもバチは当たらん」
「まったくです。シロウももっと自分の事を考えてもいいのではありませんか」
 まるではかったかのように、俺の生活態度を言及する二人。セイバーの煩悩の話からなぜ俺の追及になるのだろう。なんか不条理だ。
 ついむぅっとした気持ちが顔に出たのか、一成は愉快そうに笑う。
「まあ年の瀬だからな。あまり衛宮をいじめるのも良くない、今日はこれくらいにしておこう。
 今、鐘をついている人物も煩悩とは無縁な人物だから、あんなに近くで除夜の鐘を聞いていてはすっかり欲がなくなってしまうのではといささか心配でもあるしな」
「え? 誰だそれ?」
 一成をしてそんな風に言わしめる人物が柳洞寺にいただろうか?
「宗一郎兄だ。体は細いが思いの他、体力はあるようでな。今年は鐘をつく役目に回ってもらっている」
「ああ…………」
 そういえば小次郎が言っていたか。葛木先生が寺の用事にかり出されている、と。
 言われてみればこの鐘の音はずっと単一のリズム、単一の音量で聞こえてくる。参拝客に鐘をつかせる寺も多くなってきたが、そういう除夜の鐘はつく人が入れ替わるので、音もリズムもバラバラになるものだ。この音はいかにも真面目な葛木先生らしい。
「たしかにこの鐘の音は、朴訥としながらも誠実な響きを持っています。鐘をつく者の心意気でしょう」
 葛木先生に一目置いているセイバーも鐘の音を気に入ったようだ。

 ゴーーーーン…………

 三人で静かに鐘の音を体に染み込ませる。
 あともう少し、30分もしないで今年も終わる。
 年の終わりと始まりをしっかりとした気持ちで迎えられるよう、鐘の音で気を引き締めた。





 一成にソバの礼を言って、境内に戻る。
 年内の参拝を勧められたセイバーがぜひに、と希望したからだ。
 しかし今年も残りわずかということで、境内はお参りの人混みで溢れていた。
「シ、シロウっ!」
「大丈夫かセイバー」
 小柄な彼女は人混みに飲まれそうになっている。冬場はみんな厚着で着ぶくれしてるから、混雑もひとしおだ。
 人垣に引き離されそうになったところを、セイバーの手をつかんでなんとか引き寄せる。
「っぷ……すごい数の人ですね。冬木市にこんなに多くの人間がいるとは思ってもみませんでした」
「本当にな。学校でも全校生徒が集まればこれくらいの人数はいるけど………」
 少なくとも学校のグラウンドは、柳洞寺の境内よりはるかに広い。人口密度という見方をすればここまで人が密集するのはあまり見ない。
 慣れない人混みの中ではどうも秒単位で神経が削り取られるような気がする。セイバーも難しそうに寄せた眉根を崩そうとしなかった。
「……む、これはなかなか難儀をします。前に進むのも大変そうです」
「ああ、これだけ混んでると、短気を起こして帰るヤツとかもいそ――――」
「□□□□□□□□□―――――!!!!」
 後ろの方から、女の咆吼が聞こえた。
 遠くからなので意味はわからない。けどきっと隣にいてもわからないだろう。
 どこかの狂戦士を彷彿とさせる、どこかの狂戦士よりも理性がなさそうな声には聞き覚えがあった。
「シロウ。今どこからかカエデの声が」
「言うなセイバー。今日だけはあれと関わり合いになりたくない」
 せっかく除夜の鐘、年越しソバ、冬の夜の冷気と3つ揃って厳かな雰囲気を作り上げたのだ。あの自称穂群の黒豹なんぞに会ったらそれだけで台無しである。
「まったく、仕方がないですね」
 セイバーはそんな俺の態度に、子供の我が侭を聞いた時のような顔で苦笑した。
 ともあれ会話を交わす間にも、人混みは着々と増えつつある。早くお参りしなくては今年が終わってしまう。
 はぐれないようセイバーの手をとって、人混みをかきわけた。
「シ、シロウ?」
「前の人には悪いけど、先にお参りやらせてもらおう。そろそろ今年も終わるぞ」
「それはいけません。……しかし前に並んでいる人々を押し退けるということは、順番を無視することになるのでは……」
「いいって。みんな新年になるのを待ってるみたいだし」
 さっきちらりと見えた賽銭箱には、ほとんど人が集まっていなかった。みんな一歩ひいて、おそらく新年一番にお参りするのを待っているのだ。
 その証拠に、今お参りしたいので通してくださいと断りを入れると、大抵の人が道を譲ってくれる。
 人垣をかきわけかきわけ、やっとのことで賽銭箱の前に到着すると、お賽銭の10円玉を放り投げた。
「……………………」
 さて。とはいうものの、お祈りの内容が浮かんでこない。
 なんだか毎回ここに来るたび祈る内容に困ってる気がする。
 セイバーはどうなのだろう、とちらりと横目で盗み見ると。

「――――――――」

 ……背筋を凛と伸ばして。
 柔らかく華奢な指を美しく合わせて。
 静かに目を閉じて、お祈りをするセイバーは、とんでもなく綺麗だった。
 ぽかん、と道化のように口をあけて、しばらく彼女を見つめることしかできない。
 はっきり言って、不意打ちだった。お祈りをしてるセイバーがこんなに綺麗だなんて、想像したこともない。
 柳洞寺には相変わらずの人混み。その喧噪すらしばらく忘れた。
 やがて、セイバーがゆっくりと瞳を開く。目蓋が震え、緑色の瞳が見えるのを、やはり綺麗だと思うのと同時に、今のが終わってしまったのは少々残念だなと思った。
 セイバーは俺の視線に気付くとこちらを振り向き、
「シロウのお祈りは終わったのですか?」
「うっ」
 彼女の指摘で正気に戻る。
 やばい。何もやってないぞ、俺。
 慌てて目を閉じて手を合わせるが、さっきのセイバーでいっぱいになった頭では何も浮かんでこない。せいぜい『今年もお世話になりました。来年もよろしく』なんて知り合いにする年末の挨拶ぐらいしか出てこなかった。
 それでもしばらく必死の思いで目をつぶり、再び開ける。最初に見えたのは俺を見ているセイバーの瞳だった。
 さっきの雰囲気からは幾分柔らかくなっているが、まだあの凛とした余韻が残っている。
 それにドキドキする心臓をごまかすために、とりあえず話題を口にした。
「えーと、セイバーは何をお祈りしたんだ?」
「私ですか? もちろん『これからもシロウを守ってゆけますように』と」
「……………………」
 ……なんかジーンときた。
 と同時に、セイバーらしい願いだとは思う。
 でも彼女には俺のことなんかより、もっと自分のことを祈って欲しいとも思った。
 いつだって自分のことより他人の幸せを優先させてきた彼女。
 だったら俺は――――

 ゴーーーーン…………

 一際大きく、除夜の鐘が響き渡る。
 音が消えるか消えないかのうちに、突然境内がパアッと明るくなった。

 ワアアアァァァァァ…………

 周囲のみんなが歓声をあげる。
「シロウ!?」
「なんだ? あ、もしかして」
 耳をすませばそこかしこで、「おめでとう」「あけましておめでとう」の声。
 そうか。年が明けたのか。
 まだ困惑しているセイバーに俺から声をかける。
「あけましておめでとう、セイバー。今年もよろしくな」
「え!? あ……はい。おめでとうシロウ、こちらこそよろしくお願いします」
 まるで礼儀のなんとか流のお手本みたいな、きれいな礼をするセイバー。
 新年最初のあいさつだからだろう、その姿勢はいつも以上に気合が入っていた。
 けれど鈴を転がすような声がつむぐのは、いつも通りの親しげな響き。
 顔をあげるとセイバーは、むん、と気合を入れ直す。
「さあ、あともう一つ残っています。晴れて年が明けたのですから、今度は新年の参拝をしなければ」
「あ、そうだな。いつまでもここにいちゃ邪魔だろうし」
 そういえば俺たちがいるのは賽銭箱の真ん前なのだった。柳洞寺の年末年始用賽銭箱は大きいから、俺たちだけで完全にふさいでしまうことはない。現に新年の挨拶を終えた人々が、さっそくお賽銭を放り込み始めている。
 とはいえお賽銭は俺たちの後ろからも投げられていた。後ろの人達がなかなか進まない列に業を煮やし、目算だけでお賽銭を投げ始めた証拠である。
 もう一度サイフを取り出して小銭を投げた。セイバーも同じくお賽銭を投げてまた手を合わせる。
「………………」
 そしてあの、いつまででも見ていたい彼女の祈りの姿を惜しいと思いつつ。
 俺も隣で背筋を正し、手を合わせて目を閉じた。


(世界が平和でありますように。それから――――)
 いつものお祈り。それに今年はひとつだけつけくわえる。
(――――俺もセイバーを守っていけますように)






 お題その45、「除夜の鐘」。
 待っていましたこのお題……! そうです! 士剣が公式カプと認められた記念すべきエピソードを、僭越ながらぜひこの手で!! ひゃっほう!!!(第二回人気投票選手紹介参照)
 そんなわけで今回長め。つか基準の倍。あああああ、幸せすぎるぜコンチクショウ!! これを見た時思ったのです、これだけで毎日ご飯30杯はイケると……!!(いーかげん小説後書きになってません)




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