妙に肌寒い、ある日曜日の朝。
 セイバーは部屋から出ると、縁側で大きく深呼吸をした。
「――――――――っ」
 その最高潮のところで、小さく体をふるわせる。
 今朝は昨日にくらべずいぶん気温が下がったからだろう。とつぜんの温度差に体が驚いているのだ。
「――――――――」
 ……が、そのまま体勢を立て直し、今度は大きく息を吐く。
 それと同時に、今年初めての白く染まった息が、彼女の口から大きく飛びだしてきた。
「……………………」
 白い息はあっという間に空気に溶けて消える。
 彼女はもう一度、息を吸い込み、そして吐く。
 またも大きな白い息がセイバーの目の前に現れた。
「………………!」
 今度は大きく大きく、腹の底まで空気でいっぱいにする勢いで息を吸う。
 ゆっくり吸った息をゆっくり吐くと、小さいながらもとても長い時間、息がプカプカと浮かんでいた。
「――――――――――――」
 再び息を大きく吸う。次は断続的にぽっ、ぽっ、と吐く。
 白い息が現れては消え、現れては消え、まるで汽車の煙のようだ。
 一息分ずっと同じことをして遊び終わると、セイバーは幾分上気してきた顔でまた大きく息を吸い込む。
 その、最中に。
「――――ぷっ」
 小さく吹き出した声を聞きとがめて。
 セイバーはゆっくり振り向くと、驚愕の声をあげた。

「シ、シロウ!! いいい、いつからそこに!?」
「んー、セイバーが部屋を出てきたときからかな」

 それから今までずっと見てたんだけど、本当に気づいてなかったのか。
 なかなか珍しい話だ。いつもは俺が見てるとすぐに気づくのに。
「〜〜〜〜………………」
 セイバーは頬を赤くして睨んでくる。そんなに見られたのが恥ずかしかったんだろうか。
 もっとも、怒っているのではなく拗ねたように睨んでくるその瞳では、威厳も何もあったもんじゃない。ただ可愛いだけである。
「…………シロウ。なぜ声をかけてくれなかったのです。朝はきちんと挨拶をするのが、一日の始まりには大切ではありませんか」
「ごめん。セイバーが可愛かったから、つい」
「――――!」
 いきなりカアッと顔が真っ赤に染まるセイバー。そして拗ねた顔の中に若干怒りの色が増えた。……なんでさ。
 事の展開がよくわからないこんな時は、話をすりかえて誤魔化すにかぎる。
 セイバーから視線をそらし、庭の方を向いて思いついたことを言った。
「――ええと、そうだ、今朝はずいぶん冷え込んだよな。やっぱり吐く息が白くなってくると、ああ寒くなってきたんだなって感じがする」
「…………そうですね。そろそろ冬も近い。息が白くなる頃には冬の支度を終わらせておくのが理想といえるでしょう」
「………あ………」
 ……かつてブリテンの寒く厳しい冬を何度も乗り切ったセイバーはそう断言する。彼女の横顔にはいつもの、いや、それ以上に厳しい雰囲気が漂っていた。
 あの頃のイギリスは、おそらく冬の間食べ物にも事欠いただろう。作物の収穫率は今よりずっと悪かったはずだし、野菜を保存しておく技術もない。せいぜい塩づけや干すなどしてようやく食べられる肉だけ。それも度重なる戦で失ってしまう。
 冬は、冬であるだけで民を殺す災害となった時代。
 ――――失敗した。単に息が白いとはしゃいでいたセイバーから、あの頃の想い出を引っ張り出してしまうなんて。
 セイバーはまだ厳しい表情を崩していない。それがひどく寒そうに見えて。
 ただ、あっためてやりたくて。
「シロウ…………!?」
 驚いたセイバーの声が響く。
 気がつけば、彼女を後ろから抱き締めていた。
「寒くないか、セイバー」
「さ、寒くなど……! ……ありません……が…………」
 尻すぼみになるセイバーの声。抵抗するかと思った彼女の体は、意外にもすんなり抱擁を受け入れてくれた。
 なら、俺も遠慮なくあっためさせてもらおう。
 起きたばかりだからか、セイバーの体は思ったより冷たくはない。でも彼女の想い出が冷たい。
 もう変えられない過去げんじつを温めることはできないけど、せめて心だけは冷たくならないようにと。
 気持ちをこめて、体温を伝える。
「――――――――」
「――――――――」
 言うべき言葉はない。ただ、互いからもれる白い息だけが、時間の経過を知らせていた。
 やがて。
「……ありがとうシロウ。おかげであたたかくなりました」
 セイバーは礼を言うことで満足したことを伝えてきた。
 ならばもういいだろう。
 俺も彼女を解放する。こちらを向いたセイバーの顔からは、あの冷たい厳しさが消えていた。
 体を離したとたん、自分のした事が今さら恥ずかしくなってきて、目線をそらす。
「あ、ああ、そうだ。そういえば昔、よく友達と息の大きさをくらべっこしたりしたよな」
「ほう。シロウたちはそのようにして競っていたのですか」
「まあ、競ったっていうか、ちょっとした遊びだよ。友達より息が大きいと、少し早く大人になった気がしないか?」
 そう言って思いきり空気を吸い込み、はーーーーっと息を吐く。
 腹の底から吐き出された空気は、外の気温との温度差で白く変わり、存在を露わにした後しずかに消えていった。
 うん、これは思ったより大きいのが出たな。まだ寒くなりきってないこの時期にしては珍しい。
「む…………。シロウの息はずいぶん大きいですね」
 不満そうなセイバーの声に視線を落とすと、セイバーはまさに声の表情そのままの感情を顔に浮かべていた。
 それはまるで、俺の吐いた息が大きいということが、不満であるかのような。
 今度はセイバーが息を吐く。かなり大きく吸い込んでいたようだが、俺ほど大きくはいかない。
「…………やはり私の方が小さいでしょうか?」
「そりゃまあ、俺は男だしなあ」
 戦闘中のスタミナと密接な関係を持つ心肺機能で言えば、セイバーに比べるべくもないだろうが、肺活量というのは単純に『どれだけ肺の中に空気を入れられるか』だ。つまり息を止めることで鍛えられるものであり、歌手や水泳選手が鍛えるべきものである。剣士が肺活量をことさら鍛えることはありえないだろう。
 となると当然、男の俺は女の子のセイバーより肺活量が多くなるというもので。っていうか、男として専門でもない女の子に負けるのも悔しい。
 しかし俺のお隣さんはそうは思ってくれなかったみたいだ。
 もう一度、今度は顔が赤くなるぐらい思いっきり息を吸い込んで吐き出した。
「お、おい、セイバー……」
「くっ、これでもまだ……! なんですかシロウ、今取り込み中です!」
 いや、取り込み中って。
 いつのまにかセイバーの勝負魂に火がついてしまったみたいだ。こんなのに明確な勝敗なんてないと思うんだけどなあ。正確に測定できるわけでもなし。
 けれどセイバーは諦めない。今度は体を使って、前かがみの姿勢から上体を大きく後ろにそらし、顔を真っ赤にしながら力いっぱい息を―――
「っ…………!?」
「あっ、おい――――!」
 吸い込んだ姿勢のまま、一瞬彼女の体が後ろに倒れかける。慌てて背中に手を差し込んで受け止めた。
 幸いにもセイバーはすぐ体勢を戻し、自分の足でしっかり立ち直す。
「すみません、シロウ」
「いや、いいけどさ。急にどうしたんだ?」
「それが……息を吸い込んでいたら気が遠くなってしまい、その」
 意識が暗転ブラックアウトしかけたってことか。まったく。
「これ以上はダメだぞ。もう深呼吸は禁止。またやって今度こそ倒れられたら困るからな」
「むぅ――――」
 セイバーはますます不満そうだが、自分がやりすぎてしまったことはわかっているのだろう。
 戦闘中の無茶なら平気でするセイバーだけど、さすがにこんな遊びの場面では退くべきところぐらいわかってる。
 しかし負けず嫌いの彼女の気がこれでは済まない。その葛藤に悩んでいるみたいだ。
「…………そうだセイバー。
 朝飯がすんだらちょっと道場で体を動かさないか?」
「竹刀でですか? それは構いませんが」
 突然の話題転換についてゆけず、きょとんとした顔をするセイバー。
 うん。彼女も3時間後には、吐く息の量が少ない方が優れてることもあるって気付くだろう。稽古の後の俺と彼女の呼吸量は一目瞭然だ。
 俺の満身創痍と引き替えになってしまうだろうが、それっくらいは安いものである。
 とりあえず、急に肌寒くなった朝にふさわしく、今日の朝飯はあったかいみそ汁でも用意しよう。
 桜に台所を占領されないうちに、俺たちは居間へと向かうのだった。






 お題その34、「妙に肌寒い日」。
 スレイヤーズで学んだ秘技、「三人称に見せかけて実は一人称」地文。ホントかよ、と思った方は読み返してみてください。ちゃんと士郎の一人称になってるハズです(笑)
 ブリテンことイギリスは、本来は冬木より寒いはずですから、白い息など珍しくないはずですが。でもその年初めて息が白くなると、なんだか楽しくなりません?(笑)ジブンは楽しい。
 ……あれ? 最初はただ単に、息の大きさ競争なだけだったのに、なんか気づけばハグが混入されてマスよ? なんでさ??




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