「え? 士郎が最近、剣の稽古をサボりがち?
 それは仕方ないわよ。なんたって今は――――」

「先輩の起床の時間が遅くなってる事ですか?
 えっと、仕方ないんじゃないかと思います。なにしろ今は――――」

「んー? ここんとこ士郎の料理が手抜きっぽいって?
 許せないけどしょーがないんじゃないかなー。だって今は――――」

「「「テスト期間中だから。」」」





 柔らかく日差しが差し込む畳に、セイバーはきっちり座して、目の前の二人に相対していた。
 彼女も含め、ここにいるのは一人残らず和室というイメージからはかけ離れた人物ばかり。
 衛宮邸外国人メンバーのみ集結した居間は現在、ちょっとした異国状態。
 セイバーは目前のライダーとイリヤをしっかりと見据え、口を開く。
「貴女たちに集まってもらったのは他でもありません」
 士郎、凛、桜、大河といった学校組は、この平日の午前中という時間帯は学校へ行っている。
 その学校の事を話すのだから、彼らのいない今が絶好の機会であった。
 セイバーの言葉を皮切りに、静かにお茶を飲んでいた二人が顔をあげる。
「最近、シロウのやる事なす事に身が入っていないように思うのです。朝は遅く、そのため料理も急いで作ったような感じが見えます。
 夜は夜で、近頃放課後の仕事は減っているのか早く帰宅するというのに、早々部屋へこもってしまってろくに出てきません。おかげで稽古の時間も減少ぎみです。
 凛と二人でそのことを指摘し、反省してもらおうかと思ったのですが、凛は、それどころか桜や大河まで『仕方ない』と言う始末。
 …………一体、その理由だという”テスト期間”なるものは、どういうものなのでしょう?」
 キッ、と敵に挑むような真剣味をおびた瞳で二人を睨むセイバー。
 対するイリヤは正座していた足をくずし、その先をプラプラさせながら、
「んーー、シロウがここんところ、あんまり自主的にかまってくれないのは寂しいけど…………
 甘えたいならもっと甘えれば? わたしは好きなときに甘えればシロウは応えてくれるから、それで構わないわ。
 自分が寂しいからって、他人に相談してもそれこそ仕方ないと思うの。シロウにちゃんと、もっと構ってって言えばそれでいいんじゃない?」
「なっ…………イリヤスフィール!! 私は別に寂しいなどと言った覚えはありません! 今はシロウが料理や稽古をおろそかにしている事についてですね…………!」
「まあ、セイバーの感情はともかくとして―――」
 真っ赤になって言い募るセイバーの言葉を制し、今度はライダーが口を開いた。
「最近サクラも部活から早く帰ってくるなりすぐ部屋へこもってしまうので聞いたことがあります。テスト期間なるものの話を。
 なんでも、学校で年に数回行われる、一斉試験ということです」
「試験……? つまり合否でなにがしかの変化があるという物ですか?」
「一見して大きな変化があるわけではないようですが」
 ライダーはズズ、とお茶をすすり、
「この国の学校は、大きく分けて4つの段階があるそうです。いわく、小・中・高・大と呼ばれるとか。2段階までは皆が行かねばならず、それ以上は選択制のようですね。
 サクラたちは2段階目をすでに卒業しています。今の学校を卒業したら、4段階目に進むかどうか、という分かれ目になるでしょう」
「なるほど……。ということはシロウたちは、現在3段階目にいる、ということですね?」
「………………セイバー」
 カタリ、と小さな音をたてて、湯飲みが置かれた。
「それを明言してはなりません。この世には、火を見るより明らかであっても決して明言してはならない真実というものがあります」
 言葉と同時に、ライダーから絶対零度の敵意が吹きつけられる。
 普段ならばライダーの敵意に怯むことなどありえないセイバーだが、スキルAの直感が、この言葉には従えと訴えかけてくる。
「わ、わかりました。ともかく、シロウたちが学校を卒業したら―――」
「それぞれ将来のために、別の学校へ行ったり働いたりするでしょう。そのために、この一斉試験が参考になると聞きます。
 中には、この試験の3年間の総合成績だけで進路が決まってしまう者もいるとか」
「なんと――――」
「もっともリンは時計塔へ行くのですから、一般の学校の成績など関係ありません。それでも頑張るのは、優等生であろうという彼女の見栄ですね。一方のサクラは、樹木医を志していると聞いています」
「ジュモクイ? それは魔術師とどのような関係が?」
「……どのような関係もありません。なんでも、樹の専門医だそうです」
「樹に? 医者がいるのですか?」
「私もそのあたりは、よくわからないのですが」
 樹は生えていて当然、枯れるのも当然の、自然破壊という言葉とは無縁の世界で生きたセイバーとライダーにとって、樹の専門医という言葉は理解の外にあった。
「ともかく、その医者になるため、上の学校へ行くこともひとつの道だとか。その場合、先程言ったとおり試験の成績が必要になるそうです。
 士郎がどのような道を志しているか、具体的には知りません。しかし成績が良くて損をすることはないでしょう。この社会は、学問の成績が優秀さを現すかなり大きな部分を占めていると聞きますから」
「……………………」
 セイバーはしばし黙考する。
 たしかに、士郎からは学校を卒業した後どうするか、ということを聞いたことはない。正義の味方になるのだという夢は知っているが、具体的に『正義の味方』という職業はないはずだ。
 将来役立つから、という理由で彼は剣や魔術を習っているけれど、彼は魔術を極める凛のような魔術師になる気はないだろう。同じように剣で身を立てる気もないと思う。
 ならば。彼の職業たる技術は、どこに依るものとなるのか――――
「やはりそれは学問ということに……。だとすれば、今の状況も――」
 やむをえない、という結論に達するのだろうか。
 そういえば以前、大河が言っていた。
『最近セイバーちゃんや遠坂さんから何か習ってるのはいいんだけど、学校の勉強もちゃんとやってくれないとねー。学生の本分は勉強なんだから』
 …………考えてみれば。
 士郎は毎日、とても忙しい日々を送っている。昼間は学校、夕方は一成の手伝いやアルバイト。朝と夜、休日は溜まった家事をこなしている。そして聖杯戦争をきっかけに、剣の稽古と魔術講座まで受けているのだ。
 今までは気にも止めなかったが、試験前に学校の勉強を詰め込んでいるということは、本来学校だけでは学問は不足しているのだろう。家でもやらなければいけなかったはずなのに、他の用事が多すぎてそれを行えなかったのだ。
 とはいえ剣や魔術の稽古も、おろそかにしていいわけではない。彼はまだ、やっとスタートラインに立ったばかりのひよっこなのだから。
 ならば削るところといえば。どうしても、残った家事が―――
「いや、それは駄目ですっ……!」
 凛や桜の作る料理もたしかにおいしい。しかし何日も士郎の作る料理が出てこない日が続くのは、絶対に頷けない。
 彼の作る料理には、彼独特の温かみがある。まして和食ならば、まだ士郎が1番の腕を誇っているのだ。
 うんうんと悩みの尽きないセイバーに向け、白い少女から呆れたような声がひとつ。
「なんかいろいろ考えてるけど、結局どうするのよセイバー」
「…………………………」
「シロウに相手してもらえなくて、寂しくてもガマンするの? それとも思いっきり甘えちゃうの?」
「ちが……! そうではないでしょう!?」
 ……しかし本当にどうすればいいのだろう。
 答えの出ないまま、さらに深く悩むセイバーへ、もうひとつの声がかかる。
「言い忘れていましたが。
 テスト期間とやらは今週いっぱいと聞いています。つまり次の土曜日からは、とりあえずいつも通りの生活に戻れるとサクラは言っていました」
「それを早く言ってください!!」
 ダン、と思いきり叩いたセイバーの拳の下で、机がイヤな音をたてた。





「まったくもって、ライダーもイリヤスフィールも人が悪い。知っているのなら何故教えてくれないのか」
 昼間の事を思い出して、セイバーの口から文句がもれる。今は夜半過ぎなため誰も聞いていないのが救いだろう。
「そうだ、シロウもシロウです。ちゃんと教えてくれれば良いものを、それすら思い至らないほど忙しいというのですか」
 食パンの耳を包丁で落とす。白くて柔らかいところだけになった食パンの片面に、冷蔵庫から拝借したイチゴジャムをぬりぬりと。
「たしかに私ではシロウの役に立てないでしょう。しかし何も言わないのではこちらもあらぬ誤解をしてしまう」
 今度はマーマレードをぬりぬり。ジャムはジャム同士、マーマレードはマーマレード同士で、2つのパンを重ね合わせる。
 およそ最も簡単な軽食、ジャムサンドのできあがり。
「――――――――」
 普通の人が作る時の倍近く時間をかけ、ようやくできたそれを、セイバーはじっと見つめる。
 このレシピは以前士郎が、最近料理を学び始めたセイバーのため、どうしてもお腹が減って我慢できない時に作れる簡単料理として教えてくれたものだ。しかし。
「……さすがに雑すぎるのではないでしょうか……」
 作ってみてから気付いた。これは彼女にとって非常食であって、今の目的――士郎への夜食という目的のための料理にはふさわしくないような気がする。
 もちろんこれはこれでおいしい。しかし他のサンドイッチがあればこそジャムサンドは映えるもののようにも思う。これしかなくては少々口寂しい。
「いくらシロウが教えてくれた料理とはいえ、これを持ってゆくわけにはいきませんね――」
 彼のテスト勉強のため、何かできないかとは思ったが、彼女には自分にできることがこれぐらいしか思いつかなかった。
 凛の魔術講座でもセイバーにできることは何もない。あの時は自分の剣の修行と同時に始めた事もあってか、それを気にすることはなかった。しかし今、士郎の学校の勉強に関してできる事が何もないというのは、なぜか焦燥を覚えてしまう。
 なんでもいいから何かできること。それを考えた時、頭に浮かんだのは以前城で遅くまで戦略会議をしていた折に召使いたちが持ってきてくれた差入れだったのだが―――
「…………やはり私にこういう事は無理なのでしょうか」
 無力感。かつて王であった頃にも何度も味わったその思いを、またここでも感じることになるとは。
 思い立った時は、いい事を考えついたと思った。士郎の役に立てると考えるだけでドキドキした。しかしその時の膨らんだ気持ちが、一気にしぼんでゆき―――

「お夜食ですか?」

 いきなり真後ろからかかった声に、比喩ではなく飛び上がるほどにびっくりした。ブン、と音がするぐらいの勢いで振り向く。
「さ、さ、さ、桜!!? ななななななぜここに!!」
「そんなに驚かなくても……。わたしは水を飲みに来ただけですよ。
 セイバーさん、おなかへって眠れなかったんですか?」
「あ、いえ、そ、その、あの」
「仕方ありませんね。サンドイッチ1個でお手伝いと口止め料にしておきましょう」
 パジャマ姿の桜はニッコリ笑うと、台所に常備してあるエプロンを取り出した。そして当たり前のように冷蔵庫を開ける。
「…………桜?」
「ジャムサンドだけじゃ物足りないでしょう? せめてもう少し、違ったものも作らないと」
 ハムやレタス、トマトなど、次から次へと食材が取り出される。先程冷蔵庫の中身を見て何分もかたまっていたセイバーとは違い、まったく迷いがない。
 ついで流れるような動きで包丁を取り出し、そのまま食材はパンに挟むちょうどいい大きさに切られていった。どの材料もせいぜい一度や二度しか包丁を受けていないため、桜の手元はめまぐるしく動いている。
 あっという間に――セイバーの感覚からすると――切り上がった材料はパンに挟まれ、今度はサンドイッチとして食べやすい大きさに切られる。そして。
「はい、できあがりです」
 セイバーがジャムサンドを作るのとほとんど変わらない時間で、見目麗しいおいしそうなハムサンドと野菜サンドが皿の上に姿を現した。
「――――――――」
 ごくり、とセイバーは生唾を飲み込む。サンドイッチがおいしそうだからではない。己が実力と彼女の洗練された技の間に存在する、遥かなる遠き道を目の当たりにした事による畏れだった。
 改めて、士郎や桜や凛の腕前を実感する。セイバーから見た士郎の剣の腕は未熟の一言に尽きるが、逆に士郎から見たセイバーの料理の腕は赤子にすら等しいだろう。それを思い知らされる手捌き。
「どうかしましたか?」
 サンドイッチを見たまま黙り込んだセイバーを不審に思ったのか、桜が問いかける。
「あ、なんでもありませんっ! ……ありがとうございます、桜。私だけではこんなに素晴らしい夜食は作れなかった」
「いいえ、どういたしまして。でもあんまり食べすぎないようにしてくださいね」
 秘密を共有するいたずらっ子のように桜は微笑む。どうやら彼女はまだ、セイバーが自分用の夜食にサンドイッチを作ったと思っているようだ。
「いえ、実はこれは…………」
「ふふっ、冗談です。本当は先輩のためですよね?」
「なっ――――」
 思いもかけず真実を言い当てられて、セイバーの動きが止まる。
 なぜそれを、とも言えず、固まっている彼女に桜が続けた。
「だってセイバーさん、今日のお夕飯もいつも通りにおかわりして、デザートまでおいしそうにたいらげてくれたじゃありませんか。
 セイバーさんがお台所を漁るのは、おかわりがいつもより少ない時、と決まってます。だから今日はきっと自分のためじゃないだろうなって思ったんです」
「――――――――!!!」
 そんな、彼女でさえ気付いていない法則を、なぜ。
 愕然とするセイバーに、えっへんと豊かな胸を大きく張って、
「わたしも衛宮家の台所事情を預かるコックの一人ですから」
 そう桜が言い切るのを見て、セイバーはガックリと肩を落とした。
 まさか知られていたとは。だとすると士郎にもおそらく気付かれているだろう。
 本人は否定するけれど、彼の観察眼は主婦のそれに匹敵するほどマメなのだ。
「あとは――――」
 意気消沈しているセイバーに、ふたたび声がかかる。
「セイバーさんがお料理するなんて珍しいですよね。しかもすごく真剣に。そんなセイバーさんがなんだか嬉しそうに見えたから、ああ、これは先輩のために作ってるんだなってわかっちゃいました」
「…………はい?」
「気付いてなかったんですか? とっても女の子らしい顔をしてましたよ」
 好きな人のために何かをしてあげる時って、顔が違うんですよね、と桜が得意そうに言う。
 彼女にとってそれは思いもよらないコトバ。
 女の子? 誰が? …………私が??
「ま、まさか。私が女らしいなどと―――何かの間違いではないのですか」
「何かの間違いであんな顔されちゃ、間違いじゃない顔なんてどんな顔だろうって気もしますけど」
 桜はセイバーにサンドイッチの皿を渡し、その中からハムサンドを一切れ取って、
「――セイバーさんがあんまり女の子らしくなると、困っちゃいます。わたしの数少ないアドバンテージなんですから」
 困ったように楽しむように、どこまで本気なのかわからない笑顔を残し、桜はおやすみなさいと背中を向けた。
 一方セイバーは誰もいなくなった台所で、じっとサンドイッチを見て佇む。
(……桜の言うことは真実なのでしょうか……)
 凛の華やかさ、桜の慎ましさには敵うべくもないけれど。
(私も……少しは女らしくなれていると…………?)





「シロウ。失礼します」
 障子の外から声をかける。
 昨日はたしか、土蔵での鍛錬を終えた後、小一時間ほど部屋の明かりがついていた。おそらくその時間が士郎の勉強の時間ということなのだろう。
 サンドイッチに思ったより時間がかかってしまったこともあり、若干時間が遅くなってしまった。本当は彼が部屋へ戻った頃に差し出したかったのだが。
 今部屋へ入ることは、もしかすると士郎の集中を乱してしまうことになるかもしれない。けれどせっかく作った夜食を無駄にすることもしたくはなかった。
 障子の前で行った逡巡は僅かな間。しかしその3倍ほどの時間が経っても、部屋の中から返事はない。
「…………シロウ?」
 部屋の明かりはついている。ならば主は必ずここにいるはずだ。となると、他に考えられるのは。
 セイバーは音をたてぬよう、静かに障子を開けた。
 この部屋は殺風景なため、目当ての物が真っ先に目に入る。
 さほど大きくもない机へ突っ伏している、丸まった背中。
「困った人ですね……本当に」
 子供を優しくしかる母親のような笑みを浮かべ、セイバーは部屋の中へと足を踏み入れた。
 彼女がすぐ側へ来ても気付かないほど、士郎はすっかり寝入っている。
 机の上にはさっきまで勉強していたのであろう教科書とノートが開きっぱなしになっていた。
 少しだけ寝よう、という意志もなく、あっという間に寝てしまったのか、上掛けはかかっていない。
「――風邪をひいてしまわないのが不思議なほどです。慣れているのでしょうか?」
 土蔵で夜明かしをする常習犯なのだ、彼は。何度も改めるように言っているのだが、なかなか治らない彼の悪癖。
 しかし起こしてしまうのもしのびないので、セイバーは押し入れからタオルケットを取り出し、そっと士郎の肩を覆った。
 これで風邪の心配が減るという安堵と、せっかくのサンドイッチが無駄になってしまったという落胆から、セイバーの口を溜息がついて出る。
「まったく…………本当に、しようがない」
 対して彼の口からこぼれるのは、やすらかな寝息。
 士郎の顔が見られたのは本当に嬉しい。けど勇気を出して訪ねたというのに、話すこともできないのは少しだけ恨めしい。
 ―――これから先の戦力補充のため、サンドイッチをひとつつかみ、はくりと頬張る。
「テスト期間が終わったら、覚悟してください。シロウ」
 その時はしっかり自分の相手をしてもらおう。稽古でも、彼の料理でも、日常のなんでもない会話でもいい。寂しい想いをさせてくれた分の負債は、しっかり返してもらわねば。
 数日後のことに思いを馳せ、セイバーは手の中のサンドイッチを口に入れた。






 お題その13、「テスト週間」。だんだん長文書きの本性が出てきました。10k以内の短編、という目標はどこへいった。
 アニメやPS2の雑誌での記事だと穂群原ははっきり高校と言われちゃってるんですが、うちは一応原作準拠なので(笑)
 なんとなく桜の位置づけが、己の中でまだ確実万全に決まりきっていないのか、どうにもあやふやな感じが拭えず申し訳ない。桜は白いけど、白いがゆえにどれだけ白で覆い隠しても、中の黒がほんのわずかに透けて見えるって感じが好きなのですがホントは(笑)ホロゥの「凛帰国」みたいな。あ、桜の言った女の子らしさとは、好きな人のために料理したりその事でドキドキする、恋する乙女的行動です。あとは好きな人のために星を読もうとしたりとか(笑)




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