…………………………………………まいった。
 衛宮士郎一生の不覚。とまでは言い切れないにしても、こんなミスを犯したのは何年ぶりだろう。小学校の卒業と共にいろいろな物とも卒業したつもりでいて、その中にこれも入っていたと思ってた。ああそんなことより。
 本当にまいった。セイバーになんて言やいいんだ…………。
「どうかしましたかシロウ?」
「うお、セイバー!?」
 以心伝心か虫の報せか、はたまた彼女お得意の直感か。彼女への言い訳を悩んでいたのに、そうはさせじと俺の後ろには、もうセイバーが立っていた。
 うう…………ここは男らしく、正直に言うしかないか。
「セイバー。落ち着いて聞いてくれ」
「――なんでしょう。真剣な話のようですね」
「ああ……………………実は。





 おやつの大判焼きに、カビが生えた」





「?!」




































「セイバー? おーいセイバー。戻ってこーーい」
 あまりにも長い硬直状態が心配になって声をかける。目の前で手をひらひらさせても、セイバーは一向に動こうとしない。
 やはりもう少しオブラートに包んでおくべきだったのか。セイバー、今日のおやつを楽しみにしてたからなあ…………。
 なにせいつもの江戸前屋の大判焼きではなく、ヴェルデ地下のカスタードとチョコレート。これが桜あたりなら、自分で好きな時に行って自分のおこづかいで買ってくるのだが、基本的にセイバーはなかなか自分で新都まで行かない。言えば自転車くらいいつでも使わせるんだけど、買い食いはもっぱら深山町の商店街の中だけだ。
 そんなわけで彼女が新都のおやつを食べるためには、ひたすら俺たちがそっち方面で買ってくるのを待つだけになる。
 たまに気のついた時に買うようにはしてるのだが、新都は若干物価が高いこともあって、つい回数が少なくなってしまうのだ。そのため新都のおやつは、セイバーにとって滅多に口に入らない貴重品なのである。
「シ…………シロウ…………カビが生えた、とはどういう…………」
 愕然と、自分の口にしてるコトの意味を理解できないようにつぶやくセイバー。ランスロットやモードレットの裏切りを聞いた時も、ここまで取り乱してはいなかった。いや、あの頃は彼女自身、感情の起伏をセーブしてたんだろうが。
 しかし彼女がどんなにショックを受けていても、事実が変わるわけではない。残酷なようだが、しっかり話した方が良いだろう。
「まことに遺憾ながら、今日のおやつの大判焼きにカビが生えてしまった。別のおやつを用意はするけど、この大判焼きはもう食べられない。ゆえに捨てるしかない」
「!!!!!」
 今度こそ逃れようのない言葉を突きつけられて、セイバーの体が電撃で打たれたかのように硬直する。
 俺は戸棚から、カビを生やしてしまった大判焼きを出して見せた。
「あ…………ああ、あ…………なんて…………なんて痛々しい姿にっ…………!」
 二十年来の親友が惨殺されたような悲しみにくれている。――――こんな顔を見ると、ホントに悪いことをした。
 元々この大判焼きは、余り物でもあったのだ。先日ヴェルデ地下でおやつとして大判焼きを買い込み、あんまり食べ過ぎると夕飯に響くから、と俺がストップをかけた。セイバーや藤ねえはまだ食べたそうにしていたが、ここは衛宮家の食事事情総監督としてきっちり権限を発動させたのだ。
 もっとも、それでも余ったのはせいぜい1人分ぐらいだった。他のおやつと一緒に食べるか、誰か1人が食べるかしないと、うちのおやつとしては成立しない。
 だからここは、いつも新都でなかなか買い食いができないセイバーのために、彼女の今日のおやつということにしておいたんだが――――
「まさかこんなに早くカビが生えるとは……。油断しすぎた。すまないセイバー」
 同じく総監督として謝らねばならない。季節柄を考えず、もうちょっと保存に耐えるだろうと甘く見ていた俺の失態だった。
 セイバーは、涙のにじむ目で、キッと怨敵のように俺を睨みつけ、
「なぜこんなことに!? 以前はこれほど早く大判焼きにカビが生えることなどなかった!! ですから私も安心していたのです、なのになぜっっ…………!!」
「そりゃあ、やっぱりこの天気のせいじゃないかな」
 台所の窓から外を見る。つられてセイバーも外を見た。
 外では、相変わらず今日も今日とて降り続ける梅雨の雨。
「この国では今の時期が1番食べ物の腐りやすい季節なんだ。気温と湿度が上がって、カビの大好きな状態になるから」
「なんということだ……。まさかこの雨に、こんな罠がしかけられていようとは……!」
 罠じゃない罠じゃ。けど大判焼きを食べられなかったセイバーにしてみれば同じことなのだろう。
 どことなく例のクセ毛がしおれて見えるのは、……えーと、気分が落ち込んでるからじゃなく湿度が高いからだと信じたい。
 とはいえ、セイバーが落ち込んでいるのは間違いなく、それを見るのはしのびなかった。
 家計用のサイフの中身を確認して、今考えていることが可能なことを確信する。
「――――よし」
「シロウ……?」
「せっかくセイバーが楽しみにしてた大判焼きが食べられなくなったのは、俺の責任だからな。今日はフルールで何かケーキでも買っておやつにしよう」
 セイバーの瞳が驚きに見開かれる。
 彼女にとってフルールの商品は、ヴェルデの大判焼き以上に希少価値の高い逸品だ。理由はもちろん、単価の高さである。
「し、しかし……良いのですかシロウ? あそこの菓子は、滅多なことでは食べられないはず」
「別に食べちゃいけないってわけじゃないぞ。セイバーにがっかりさせたお詫びもこめて、今日は奢らせてくれ。
 ……あ、でもさすがに全員分は厳しいから、買い食いって形になるけど良いかな」
「もちろんです! さあ、善は急げとも申します。今すぐに行きましょう!!」
 悲しげに大判焼きへと向けられていた緑色の視線は、今や遠くフルールに並べられた数々の甘味に飛んでいる。
 サイフはかなり寂しくなるが、たまにはこういうのもいいだろう。
「よし、それじゃあ誰かに見つかる前に行こう。何度も言うけど、絶対に他のやつには秘密だからな」
「はい。二人だけの秘密、ですね」
 秘密の共有、というどことなく甘酸っぱい響きを楽しみながら、俺とセイバーはこっそり衛宮邸を抜け出したのだった。

 ―――みんなに内緒で食べたベリーベリーベリーは、甘酸っぱいラズベリーがたくさん入っていた。






 お題その12、「雨の憂鬱」。
 雨ネタばっかりそんなに続かないデス。今回は短めで。
 てゆーか、フルールって深山町と新都とどっちにあるんでしょーね。深山町にある的設定で書いたのですが。だって雨の日に新都までおやつのために普通行かないし、新都に行くならそのまま大判焼きまた買い込んでくるだけでいいから……。とはいえあの商店街に、そんなシャレた店があるのかとか。
 ……今さらながら、ケーキ屋ベコちゃんにするべきだったかな(笑)余談ですがフルールは、ベリーベリーベリーといいラズベリーののったラフレシアアンブレラといい、ベリー系商品が多そうな気がします。




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