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ハミルトン閉路問題

もっとも初歩的なグラフは木である.木は循環を持たないグラフである.木は階層構造を表示することができる.地上に存在するモノはすべて加法的であると考えられる.加法的とは1+1=2のような計算が成立する世界のことを言う.これを集合論的な世界と考えてもよいだろう.すべてのモノが加法的な性質を持っているために,これらを区分し,さらに分類することが可能となる.木はこのような加法性の成立する世界の表現形式である.

世界のこのような性格に最初に着目したのはアリストテレスである.アリストテレス(B.C.384-322)は事物を分類し,再構成することによって世界を完全に記述可能であると考えた.デカルト(1596-1650)は方法序説によって,このような加法性がモノだけでなく,コトにおいても適用可能であることを示した.彼はあるコトを分割し,さらにそれを繰り返すことによって,最終的にはあるコトを,直ちに実行可能な程度にまで単純なコトを葉として持つ木として再構成することができると考えた.

アリストテレスからデカルトに至るまでに2000年近くの時間が必要であったが,いずれにせよ,この2つの方法は西欧の自然科学の全重量を支える土台である.たとえば,インド哲学の中には本来,非常に質のよい自然科学の方法論がきわめて先駆的な内容を持って含まれていた.なぜ,東洋哲学は科学ないし数学を産み出すことができなかったのだろうか?(身ごもっていたにも関わらずである)

我々の文明は明らかに次の段階,つまりグラフ理論的な方法を必要とする段階に入っている.グラフ理論とは関係についての学問であるが,東洋哲学においては,その当初から「関係」を扱おうとしていたという形跡がある.計算の複雑さに関わる理論では,しばしば,「手に負えない」という形容詞が用いられることがあるが,彼らは最初から手に負えない問題を背負い込んでしまっていたと言えるのではないだろうか?

もしそうであるとすれば,たとえば,東洋哲学をもう一度読み直すというようなことも有り得るかもしれない.単純化すると,グラフは木と循環から構成されると見ることができる.東洋哲学の中にしばしば現れる循環という観念は,彼らが問題をかなり深くグラフ理論的に考察していたことの証左と言えるのではないだろうか?

99/9/24 M.N.