-FANTASTIC STORY-

―人影―

「何を……しているんだい」
 寮の裏手、山側に面している側は普段から人影の少ない場所であった。
 それもそのはず、あまり日があたらない割りには下草が脛のあたりまで伸びて いて、歩くには煩わしい。それに、学園内で裏手を通り抜けて行く場所は全く無 い状況であるからだ。
 それから、この場所は部屋から一望でき、秘密ごとに向かない事も理由の一つ である。
 現在雨宮と雅美がいるものの、美智子の事が無ければ二人も裏手には無用 の人間であった。
 よって、このような場所で不意に声を掛けられれば、雨宮達で無くとも大いに 驚くに違いない。
 まして二人は話に集中していたので、突然の来訪者に驚きもひとしおなモノに なった。

「君は国府田君と……雨宮君だったね」

 その人物は、決して少なくない生徒の顔と名前を全て暗記している様だった。
「き、菊池さん!?」
 雅美が声の方へ振り返ると、そこには菊池の姿があった。
 雨宮も、突然声を掛けられた事に驚いたが、それ以上に自分の顔と名前が一致 している菊池の記憶力に驚かされた。
 たしか雨宮自身の記憶では、菊池と話をしたことは数回しか無かったはずで ある。
「き、菊池さん……どうしてここへ?」
「ん?どうしてって」
 菊池は和田美智子の部屋からこの裏手に宇賀神らしき姿を見かけ、それを確 かめに来たのだが、そこでちょうど、雅美と雨宮の二人を見かけたのである。
「君たちこそ、こんな場所で何をしていたんだい?愛の語らいをするには、少 々雰囲気に欠けると思うけどな……」
 菊池は冗談の様に言っていたが、視線は鋭くこちら側の表情を窺っている ――と、雨宮にはそう思えてならなかった。
「僕に見られたら、まずい事でもしてたのかな?」
「な!?私たちは、そんなんじゃ」
「いやぁ〜分かりますか菊池さん。他の奴らには内緒ですよ」
「ちょ、貴弘、なに言って……」
「あはは、雅美、照れるなよ」
 動揺する雅美の言葉を封じる為に、雨宮はいつものおちゃらけたキャラクター を演じる事にした。これだけのやり取りだったが、雨宮には、どこか菊池の事を 油断のならない人であると感じたからである。
 菊池は俺たちが過敏に動揺したのを見て、何かしらの事情があると思ったに違 いない……真面目が服を着ていると言う噂の菊池が、わざとからかう様な言葉を 掛けてきのは、動揺している俺たちにカマを掛けようとしたのだ。
 現に雅美など、思いっきり否定してそのままここに居る本当の理由を言いそう になったくらいだ。菊池の言葉が意識して出たものなら、人の行動を良く理解し ているのか、それとも雅美の性格を把握しているのかどちらかだ。
 あれだけの一瞬の間で、これだけの思考とカマを掛けて来る菊池の頭の回転 の早さは驚きに値する。

 それとは別に――雨宮には気になることがあった。

 どうして寮の裏手に居ただけの俺たちに、さりげなくではあったがカマをか けて来たのか?
 菊池はどうしてこの場所に来たのか……何か理由でもあるのだろうか?
 雨宮の頭の中に疑問符が浮かんだ。

「俺たちの事は秘密ですよ菊池さん。それよりも、菊池さんはどうしてこんなと ころへ?何か用事でもあったんですか?」
「いやなに、僕は事務とは言っても、学園の建物の管理とかもやらされているの でね、たまに校舎を一回りしては色々見回ってるんだよ」
 貴弘の質問に、菊池はよどみない答えを返すかに見えたが、一瞬、誰かの視線 を感じ取ったのか、山の方へと視線を向けた。

――ん?

 その視線に気が付いた雨宮は、しかし、その視線の先を追わない様にした。 気にはなったが、菊池の表情を窺う事に集中したのである。
「さてと……僕はお邪魔みたいだから、そろそろ退散させてもらうよ」
「そんなんじゃ無いんです!菊池さん誤解しないで下さい」
「なんだよ雅美、俺は本気なんだぜ」
「あんたは黙ってて!」
「あはは、うらやましいね、君たちみたいな関係は」
 菊池は本当にうらやましいと言った顔で笑ったが、それはどこか、よそよそ しかった。
 そう、先ほど一瞬だけ視線を逸らした時から、何かしらの事に気を取られて いる様なのだ。

「それじゃ本当に、僕は失礼させてもらうよ……君たちも、もうそろそろ次ぎ の授業が始まる頃だろうから、早々に教室に戻らないとね」
「分かりましたよ菊池さん。それじゃ行こうぜ雅美」
 雨宮はこれ以上雅美が何か言い出さないうちに退散しようと思った。
 何故かこの菊池にあまり事件の事を話してはいけない気がしたからである。
 ところが、雅美はどうしても美智子の事が気になるのか、菊池に彼女の容態 を訊ねていた。
「あの菊池さん、美智子の……」
――!!
 雅美が和田美智子の名前を口にすると、一瞬、菊池はポーカーフェイスのそ の顔に動揺の色を見せた。

「美智子の様子はどうなんでしょうか。意識は、あの、戻ったんですか?」
「ん、ああ、朝にも話したと思うけど、彼女に外的な傷害の痕は無かったし、 友田医院は信頼できる病院だ、きっと今頃には意識も戻っていると思うよ」
 それだけ言うと菊池は「それじゃ本当に用事があるから」と言ってその場を 逃げるように立ち去るのであった。

 どうした事だろう?何故菊池は、あの時視線を逸らしてから冷静さを失った のだろうか……
 貴弘は菊池が遠ざかるのを待ってから、菊池が視線を逸らした方向へと視線 を向けた。
 しかしそこには、いつもと変わらぬ鬱陶しい程の森が広がっているばかり で、菊池が動揺する程のモノは見つけられなかった。
「……ねえ」
 一体そこに、何があったんだろう。
「貴弘」
 いや「誰」かも知れない。
「ちょっと貴弘!」
「って、なんだよ雅美、さっきから」
「何よ貴弘、何度も呼んでるのにもっともらしい顔で考えごとして。それに どうして菊池さんに誤解される様な事言ったのよ……」
 雅美の頬が、これ以上ないと言った程に膨らんでいた。
「それから、どうして菊池さんにライターの事を黙っていたの。アレが本当に 犯人のモノだったら、やっぱり学校側に知らせた方が良いんじゃない?」
「ん?どうしてって……」
 と、貴弘は少し考えてから。
「まあ、理由としてはいくつかあるけど、まず一つ目として、ライターを落とし たのが菊池さん自身だったら?」と、逆に問い返した。
「だ、だって、菊池さんは事件とは関係ないじゃない。逆に事件の事を調査して るのって、菊池さんなのよ……」
「だからって、菊池さんが犯人じゃないって保証はどこにもないだろ」
「じゃあ貴弘は、菊池さんを疑っているの?」
 と、雅美は信じられないと言った顔で訊いた。
 すると貴弘は、「いいや」と、平然とした顔で首を振ってみせた。
「全くそんな事は思ってない」
「な、何よそれ……自分で言っておきながら勝手に否定しないでよ」
「まあ、何となく――って言う部分もあるけど、せっかく俺達が見つけた手が かりだ」
 貴弘はここまで言うと、この男には珍しく真剣な顔つきになった。
「それに、絶対に菊池さんが犯人じゃないとは言えないだろ」
「もぅ、貴弘は一体、菊池さんの事を犯人だと思ってる訳?思ってない訳?」
 雅美は江戸っ子の血か、単刀直入な答えを要求する。
「可能性の問題さ。たぶん、菊池さんは犯人じゃ無いだろう。でも、菊池さんは 学園側の人間であって、生徒側の人間じゃない」
「ま、また訳の分からない事言って……貴弘は何を考えてるのよ!!」
 雅美の頬が、膨らんだ上に紅潮してきた。
「もしも犯人が見つかった時、学園側に不利になる人物だとしたらどうなる?」

――え!?

「犯人が見つかることによって、学園側にものすごく不利になるとしたら、名門 の名が高いうちの人間は、必死になって犯人を隠して闇から闇……ねんて事もあ り得無い」
「だって、そんな事」
「無いとは言えないぜ。俺が経営者だとしても、犯人を警察に突き出すなんて事 はしないだろう。もっとも、二度とこの学園には居られないばかりか、教育者と しての道も閉ざす事はするけどな」
 雅美はいつもはちゃらちゃらしている雨宮の口から、予想しなかった程のキ ツイ言葉が出たことに息をのんだが、次ぎには、本気で怒っている表情で
「そんなの……許される事じゃない」と、憤りの言葉をはいた。
 そんな雅美をみて貴弘は
「犯人を俺達が見つけるって言うのはどうだ?」と、やはり真剣な顔つきで言 った。
「犯人を……私たちが?」
「そうさ、美智子を入院させた奴を捕まえるのさ」
 と言って貴弘は、雅美を真っ直ぐ見つめ返す。

「美智子は俺達の友達だよな……確かに、菊池さんと協力した方が犯人を捕まえ やすくなると思うが、俺達がこんな事を調べていると知ったら、学園側はそれを 辞めさせるだろう」
「やっぱり学園の名誉の為?」
「そうさ、俺達がこの事件を調べるのは学園に取ってはあまり歓迎できる事じゃ ないからな……だけど――」
 と、雨宮は何かを決意した様な表情になった。
「だけど、友達としてそれは許せないだろ。美智子が犯人に対してどうするかは 解らないけど、俺達は、犯人を見つけておく必要があると思う」
「貴弘……あんた本気で美智子の為に犯人を捕まえようと思ってるの?」
 普段の雨宮から想像も出来ない言葉を聞いて、雅美は意外と男らしいと思っ た。
 それに、ライターを見つけたのも貴弘の行動があったからである。
 学校の成績は対して変わらないけれど、案外こう言った分野では実力を発揮す るタイプなのかも知れない――

「ねえ、本当に私たちだけで犯人が捕まえられると思う?」
「それは解らないけど、俺達だからこそ出来る事もあると思ってる。それをやる しかないな」
「そうよね、私たちに出来る事を……」
 どうしたんだろう、今までこんなに貴弘の事を頼もしく思えた事なんて無かっ たのに――雅美は雨宮を前にして鼓動が高まるのを、否定する事が出来なかっ た。

「ね、貴弘――」
 と、雅美が言いかけると、今度は貴弘の質問に遮られた。
「そう言えば雅美、さっき何か言いかけたけど、あれは何だったんだ?」
「え?」
「さっき、上を見上げたときに何か言いかけただろ」
「ああ、あれね……」
 雨宮の急な問いかけに戸惑ったが、あの時言いかけたことを思い出した。
「あの時……菊池さんが現れる前に、私は美智子の部屋をもう一度見ようとした の、その時なんだけど、どうも美智子の部屋に人が居たように見えたのよ…… でも、おかしいなと思って」
「そりゃおかしいよな。美智子の部屋は今、鍵がかかってて誰も入れないんだ ろ?」
「あ、おかしいって言うのはそうじゃないの」

 ん?――どう言う事

 貴弘は雅美の言葉に首を傾げた。
「あのね、私が人影を見たって言うのは、美智子と私の部屋の間――つまり ……今は誰も使っていない空き部屋だったの」
 と言って、雅美はあの時の事をハッキリと思い出した。
 そう、そうなのだ、やっぱり私はあの空き部屋の中で誰かが動くのを見た気 がする――雅美は、見た直後には自分の見間違いかと思ったが、良く思い出し てみればやっぱり見た気がしてきた。

「うん、やっぱりあの空き部屋だったわ」
 と、雅美は言い切った。
「人影って……だって、今は誰も使ってない空き部屋なんだろ?」
「うん、だけど、やっぱり間違い無いわ。だってあの時――」
 雅美は立ち止まり、顎に手をあてながら自分の記憶をたどった。
「あの時、備え付けのカーテンが揺れるのを見たんだもの……そう、カーテン の影に誰か居たんだわ」
「それは本当なんだな」
 雨宮は、真剣な顔つきだった。
「なによ貴弘。私がこんな事で嘘を言ったって仕方が無いじゃない」
 と、雅美は念を押されて反発した。

「もしも……」
「もしも?」
「美智子の部屋に進入した犯人が、空き部屋を利用したとしたら?」
「――え?」
 二人の動きが一瞬凍り付いた。
「確かめに行くか?」
 と、先に声を出したのは雨宮だった。
「確かめに行くって、あの空き部屋へ?」
「そうだよ、あの空き部屋に誰かが居たとしたら、そいつが犯人と言う確立が高 いんだぜ――」
 雨宮は少し興奮した面もちで言った。
「だ、だけど、今調べに行っても、もう居ないかも知れないわよ?」
 と、雅美が言った時、午後の授業の始まりを知らせる予鈴が鳴り響いた。

――ちぇっ

 それを聞いた雨宮は、舌打ちした。
「ねえ……どうするの?」
 雅美の顔に、困惑の表情が浮かぶ。

「今は無理だとしても……」貴弘は残念と思う反面
「オレはあの空き部屋を調べてみるよ」
 雨宮貴弘は、犯人を捕まえる為の大きな手がかりを得た気がした。

つづく

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